シャルリ・エブドと “The Interview”

今日は自転車とほとんど関係のない雑記を書いてみます(ツール・ド・フランスに影響が出ないと良いのですが)。

昨日フランスのパリでシャルリ・エブド (Charlie Hebdo) という週間風刺新聞の編集部が小型機関銃で武装した男たちに襲撃され、12人が死亡・複数人が負傷するというおぞましい事件がありました。

襲撃犯は3人と言われており、うち1人は自首。残る2人(アルジェリア系フランス人とされる)は現在も逃走中。犯行時、彼らは「アラーのかたきを討った」及び「我々はイエメンのアルカイダだ」と叫んでいたとされ、この事件とイスラム原理主義思想との関連が疑われています。

ところで襲撃されたシャルリ・エブドですが、私はあまり好きな媒体ではありません。亡くなった方々が情熱を注いでいた仕事なので、いまこんなことを書くべきではないのかもしれませんが、シャルリに掲載されていた風刺画はあまりに下品で、頓智は効かせているものの、日本の最も下劣なスポーツ新聞のエロ記事と同等、時にはそれに劣る内容さえあったように記憶しています。

シャルリ・エブドは度々イスラム教の預言者ムハンマドを揶揄する風刺画を掲載してきたため、以前から主要メンバーがアルカイダによって死刑宣告を受けていました。今回その刑が「実行」されてしまったことになります。

昨夜はフランス・スペイン・イギリス・アメリカ(ニューヨーク)で多くの人々が自主的に集い、”Je suis Charlie”(私はシャルリだ)という紙を掲げて犠牲者に黙祷を捧げていました。

YouTubeで配信されている海外ニュースのライブ映像を見ると、インタビューされている人々や、オランド首相、アメリカのケリー外相(立派なフランス語で話していました)が口々に、今回攻撃されたのは「自由」である、それは許せない、と語っていました。

この事件はつい最近発生した、アメリカ映画 “The Interview” をめぐる事件と構図があまりにそっくりで驚きました。”The Interview” はアメリカのトークショー番組のスターがCIAの要請を受け、北朝鮮の首領・金正恩氏を暗殺しに行くというおバカコメディー映画だそうです。

金正恩はこの内容に猛反発、一節によると北朝鮮関連組織が映画公開以前から制作配給のソニー・エンターテイメント社の情報システムに侵入、同社の重要な情報の大部分を流出させ、さらには映画が公開されるなら「911を思い出すことになるだろう」とテロ活動を予告した、とされています。

“The Interview” 事件でも、アメリカの人々が「表現の自由」について熱く語っていたのが印象的でした。この場合、人命が失われるテロ事件こそありませんでしたが、事件の構図として、シャルリ・エブド社攻撃事件と、”The Interview” 事件は驚くほど似ていると思ったのでした。

どちらのケースでも、「表現の自由」を行使した結果、ある代償を支払うことになった、という共通点があります。言い方を変えれば、責任を取らされた、ということでしょうか。

今回亡くなられたシャルリ・エブドの関係者やフランスの警察官の方々は本当に気の毒です。シャルリ・エブドの風刺画がいくら下品で低俗なものであったとしても、それによって人命を奪われて良いわけはないでしょう。ただ、イスラム原理主義者はそうは見なかった。

シャルリ・エブドは自らを”Journal irresponsable”(無責任な新聞)と形容していましたが、結局きっちりと責任を取らされてしまいました。命で償うほどのものなのか、とはイスラム原理主義者ではない西側世界の人々の主張。

シャルリ・エブド襲撃事件で人々が流した涙、”The Interview” 事件で人々が叫んだ「脅しには屈してはいけない」という言葉には、共感はします。しかしどこかこの2つの事件には言いようのない違和感を感じます。その違和感の正体を知るために、この記事を書きはじめました。

何か西側世界のイデオロギーに反するものに対して、無用な喧嘩を売って、挑発しているな、と思います(というか、それをしっかりビジネスにしている)。その結果、ソニー・エンターテイメントは会社が傾きかねないほどのダメージを負って、シャルリ・エブド事件では12人も亡くなってしまった。

それだけの代償を払うほどの価値が、あれらの風刺画、あの映画にはあったのでしょうか。表現としてそんなに良い内容だったでしょうか。価値はあったでしょうか。誰かを幸せにしたでしょうか。どんな表現活動も自由ではあると思うのですが、表現には価値があるべきではないかと私は感じます。

シャルリ・エブドの風刺画や “The Interview”という映画は、何らかの価値を世界にもたらすのか。良い影響を与えるのか。それは大文字の「自由」という言葉の名のもとに擁護できるほど立派なものだと言えるのか。表現として、単なる軽蔑と侮辱(風刺画)、いじめと脅迫(映画)以上の何物かであったと言えるのか。

私もテロリズムには絶対反対ですし、昨日パリで起きた事件には大きい衝撃を受けていますが、同時に奇妙な歯がゆさ、なんともいえない嫌な感じも受けています。

この「違和感」の正体をよく考えずに「自由は死なない!」などと叫んでいると、本当の「自由」は私達の手からこぼれ落ちていくのではないでしょうか。

かつてソルジェニーツィンやドストイェフスキーといった人々が口にした「自由」という言葉と、オランド首相・ケリー外相・オバマ大統領がいま口にしている「自由」という言葉は、同じものではないような気がしています。

この記事をお届けした
CBN blogの最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!