好きなものが多いほうが人生は楽しい

誰にも好きなブランド(またはメーカー)や、好きではないブランドがあると思います。


さらには一歩進んで「嫌いな」ブランドさえあるかもしれません。ここで私自身の話になるのですが、長年自転車レビューサイトCBNの裏方をやらせていただいているうちに、不思議なことに「嫌いなブランド」というのがほとんどなくなりました。

自転車メーカーにしても、パーツメーカーにしても、ウェアメーカーにしても、エンドユーザーである私達サイクリストに対して不誠実なマーケティングをしたり、かなりインチキな製品を提供するメーカー等は別ですが、「あのメーカーのデザインや製品はカッコ悪い」と思うことがかなりなくなってきたのです。

私は聖人君主の類ではなく、ロードバイクに乗り始めの頃はやはり好きではないブランドがいくつかありました。例えばGIANTとパールイズミ(現在私はこれらのブランドが好きなのであえて名前を書くことにします)。

10年も前の私にとって、ジャイアントのロードバイクというのはどこか安物でカッコ悪いイメージがあって、購入対象とはなりませんでした。同様にパールイズミのウェアもデザイン(外観デザイン、特にグラフィック)が自分の好みでないものが多く、着たいとは思わないものでした。

平たくいうと当時の私はGIANTとパールイズミは「嫌い」だったのだと思います。しかしCBNの運営に携わっているうちに、それらの製品についての様々なレビューを読むうちに(つまり様々な価値観に接するうちに)印象がガラリとかわり、現在この2つのブランドには敬意を持っています。

台湾ではジャイアントの直営店を回るくらい好きになりましたし、パールイズミのウェアもいくつか愛用するようになりました。これは自分にとってプラスの変化だったと考えています。何事についても、嫌いなものが多いより、好きなものが多いほうが気持ちもポジティブになるし、選択肢も多くなります。

話は少しそれますが、私は色々な音楽が好きです。J.Sバッハのようなバロックも、ドビュッシーのような近代フランス音楽も、ジョン・コルトレーンのようなジャズも、レッド・ツェッペリンのようなハードロックも好きです。BABY METALも「嫌い」ではありません。

節操がないと言われそうですが、いろいろなものが好きで良かったと思います。人によっては不協和音の多い現代クラシック音楽(リゲティ・ジョルジュやイアニス・クセナキス等)は生理的に受け入れられないようなのですが、私はそういうのも好きです。ラッキーだったなと思っています。

さて、ここで一つの状況を想像してみてください。あなたは10人くらいのサイクリング仲間と楽しいロングライドに出かけているとします。雑談中、あなたはぽろっと「GIANTって嫌いなんだよね」と口にしたとします。あるいは「パールイズミのデザイン、あれはないな。俺には無理」と。

その時仲間の中に、愛車がGIANTの人、パールイズミのウェアを着ている人がいたとしたら、どうでしょう。

これはやはり言わないほうが良かったタイプの発言でないでしょうか。自分には好きなデザインやコンセプトがあり、自分の基準を満たなさいメーカーの製品は認められない、という「こだわり」を持つことは大切なことで、「自分自身を形成する」ために必要なことだと思います。

私は◯◯、好きじゃないんだよね、と発言するのも、別に悪いことではないと思います。ただその場に、その◯◯が大好きな人がいたとしたら、やはり発言の仕方、トーンは少し変わってくるはずではないかと思います。

他人の価値観にきちんと配慮を示しているかどうかは、その人の喋り方や、インターネットなら文章に表れると思います。「私は◯◯ってどうも好きじゃないんだよねー」という発言には、読んでいて別に嫌な気分にはならないスカッとしたものと、えっそれをこの場で言っちゃうの。何故に無駄に敵を作るのだ(汗)という、ハラハラさせられるもの、どちらもありますね。

ピーマンが嫌いでたまらないという人にピーマンを好きになれと言うのはバカげています。何かが嫌いな場合は明確な理由というものがない場合がほとんどであって、無理に好きにならせることは無意味です。ピーマン嫌いの人にピーマンの魅力を熱く語り聞かせても無駄ですし、人にはピーマンを最後まで拒否する権利もあります。

熱心なMTBerの方で、ロードバイクなんか嫌いだ、という人は少なくないかもしれません。その逆もあるでしょう。タイムトライアルバイクで河川敷や埠頭を疾走している競技志向の方はもしかすると小径車という自転車が嫌いなのかもしれません。

私はロードバイクもMTBも小径車も大好きです。好きなものが多いほうが、人生は楽しいと思います。

この記事をお届けした
CBN blogの最新ニュース情報を、
いいねしてチェックしよう!