ブレーキのかわりにアクセルを踏んでしまうという「進化」について

今日、CBNには3件もの秀逸な「自転車あるある」が投稿されていました。

そのうち特に「これは…!」と思われたのはaxisさんによる「自転車あるある」でした。以下、転載します。

自転車あるある

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ペットボトルの水をボトルに入れ換えた後、ペットボトルのキャップを捨てるつもりで、ボトルのキャップをゴミ箱へ捨てる。

あるある度→★★☆☆☆(2回やった)

これを読んで私は驚きました。というのも、自分も最近似たようなことをよくやるようになったと感じているからです。

ペットボトルのキャップとウォーターボトルのフタを間違ったことはないのですが、最近もっと深刻な間違いをしました。ある日、目玉焼きをつくろうとした私は、卵を割って卵の中身をフライパンに、殻を手近なところにあるビニール袋に捨てるはずだったのが、卵の中身をビニール袋の中に捨ててしまったのです!

その時の私は何かいろいろと考え事をしていたように記憶しています。とはいえ、ショックでした。俺は年をとったのだろうか。何か深刻な病に脳をやられてはいないだろうか。おいしいからといって「KIRIN本絞りグレープフルーツ」を毎晩飲み過ぎてはいないか。と不安になりました。

ただ、いろいろ考えた結果、私は一つの結論に至りました。この手の「間違い」は老化による脳の衰えが原因ではない。ボケではない。むしろこれは「進化」なのだ、と。

どういうことかというと、脳は常にラクをしようと考えている器官です。あらゆる行為を効率的に、少ないエネルギーで成し遂げることを使命としているような器官です。そして、物事を効率的に行うには、それを「無意識レベルで実行できる」必要があります。

私達は自転車に乗っている時、ケイデンスを一回転一回転意識することは稀ですし、路上の障害物も無意識に避けるようになっています。私達は本当に複雑ないろいろなことを「無意識レベルで」行えるように、自転車人として相当に進化しているのです。

同様に、人間としてあらゆる局面で進化を遂げると、私達は様々な行為を「無意識レベルで、考えずに」行うようになるのです。上の「自転車あるある」の投稿者axisさんの場合では、「ペットボトルの水を自転車用ウォーターボトルに入れ替える」という動作が、恐らくこれまでのサイクル人生においてそれを何度となく繰り返してきたため、無意識化されるに至ったのだと思います。

このように無意識化された一連の動作が、たまにエラーを発生することはあったとしても――ボトルのフタのほうを捨ててしまったり、卵の殻ではなく中身をゴミ袋に捨ててしまったり――、それは基本的には「人間の進化」を示すものであり、決して「老化・ボケ」ではないように思います。

よくお年寄りの方が「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」ことが原因で交通事故を起こした、というニュースを耳にすることがあります。笑い事ではない深刻な事故に繋がるケースも多いようですが、これもいわゆる「老人ボケ」ではなく、人間の、ある意味で避けようのない「進化」がもたらす不幸な事象ではないかと感じます。

人間の脳はとにかくラクに、効率的に、少ない労力で様々なタスクを済ませようとします。脳は怠け者です。と同時に、細々としたことを無意識にラクラクと片付けられるようになると、余分な時間ができますから、その時間を利用してより大きい難題に取り組むことができるようになります。

私の場合、目玉焼きをつくる作業を無意識化することにより、今後の新しい世界秩序と世界平和について考えていたのです。axisさんも恐らく水の入れ替え中に、人類全体の幸福に関することや、カーボンパーツやチタンパーツのことに思いを巡らせていたのではないでしょうか。

皆さんはどうでしょうか。皆さんもボトルのキャップをゴミ箱へ捨ててしまったり、夜のサプリメントを飲んだかどうかを忘れてしまったり、さっきシャワーを浴びた時シャンプーしたかどうかを思い出せなかったりすることは、ないでしょうか。

それは進化です。時々危ない事態を引き起こすこともありますが、退化ではなく、進化です。効率的なマシンに成長しつつある証です。余った労力で、私達は人類の役に立つ、より高度な問題に取り組むことが可能になるのです。