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「サムライ」という言葉について考える

先日、このエントリーで「サムライ」という表現について書いてみました。

その後、J SPORTSでは「REAL SAMURAI 新城幸也フィギュア」というものまで販売されるようになり、日本人はほんと「サムライ」という言葉が好きなんだなあ、と改めて思わされました。

でも、何故だろう。「サムライ」という言葉に我々日本人はどのような意味をこめようとしているのか。

私の仮説では、人は「サムライ」という言葉によって、「日本人から失われたもの」と想定されている「誇り」のようなものを表現したいのではないか。日本人は第二次世界大戦での敗戦を経たあと、必死になって働いた。なりふり構わず働いて、空前の高度経済成長を経験し、比類のないものづくりで世界を席巻した。日本人は、金持ちになった。そんな日本人を欧米人は皮肉をこめて「エノコミックアニマル」と呼んだ。狂ったようにがむしゃらに働くけれど、労働以外に生きがいを持たない日本人。誇りやプライドのない日本人。金は持っているけど下品な日本人。歴史や伝統に対する理解力は持たないが、歴史や伝統が生み出す価値を買うための金は持っている日本人。ヨーロッパではブランド品を買いあさり、東南アジアでは性を買う日本人。外国人とのコミュニケーションが苦手で、交渉力がなく、美的センスもなく、経済力のみで欧米を「人間なみに」歩くことを許された唯一の外国人である日本人。

そんなふうに、「日本人」が長いあいだ欧米人から、特にヨーロッパ人からバカにされてきたのは事実でしょう。現在でも基本的にそうだと思います。ヨーロッパに長期滞在したことのある人なら誰でもわかることですが、人種差別は今でも非常に根深いものがあります。マグレブ系、アフリカ・アラブ系の民族との社会的統合が非常に進んでいると言われているフランスでも差別はあります。たとえばパリのとある地区のケンタッキーフライドチキンには黒人しかいないし、別の地区のKFCには中国人しかいない、といったこともよくあります。日本人が町をあるいているとクルマに乗ったギャングみたいな連中から「シノワ!(中国人め!)」という罵声を浴びることも普通です。デパートで買い物をするとき、パスポートの提示を求められることもあります(勿論、これは違法)。また、非大陸ヨーロッパのイギリスでも差別はすごいものがあるそうです。大学の同級生に、イギリスで高校生まで過ごした女の子がいたんですが、彼女は東洋人ということでひどいイジメにあったそうです。

勿論、日本人もすごく差別的ですよ。中国人や韓国人に対する差別は本当にひどいものがあります。それは間違いありません。でも、ヨーロッパにおける東洋人差別はもっとひどい。ひどいというか、根深い。そして暗い。表には出さないこともあるので気にならないこともあるかもしれませんが、中には東洋人なんてサルの一種類くらいに思っているヨーロッパ人だっています。いくつかの国では「モンゴル」という形容詞は「精神薄弱」を意味することさえあります(ひどい話だ)。もっとも、最近は日本のゲームとかアニメとかビートたけしの映画などのおかげで「日本大好き!」という人々も増えてきて、だいぶ状況が変わってきました。でも40歳以上の人となると、今でも日本人と中国人と韓国人とモンゴル人はひとくくりに「東洋人」として軽蔑する人がかなりいると思います。

とにかくヨーロッパにおける東洋人差別はすごいものがあります。私もヨーロッパ長期滞在中にイヤな思いをしたことは数多くあるし、私の友人知人も例外なく差別的処遇を受けたことがあります。役所で順番を後回しにされて、住民登録するのに一日待たされた挙句、書類不備の一言で門前払いをされたりとか。

ヨーロッパのロードレーサーの中に「日本人なんかがロードレースで勝てるわけないだろ」と思う人がいたとしても不思議ではないと思います。というか、それが普通の感覚ではないかと想像します。アメリカ人もオーストラリア人も、ロシア人でさえ「not 西ヨーロッパ」という理由でプロトンから差別を受けることがあると聞いたことがあります。ましてや日本人ともなると、どんな扱いを受けても不思議ではないような気がします。

ポーランドのチームで走っていた栗村氏は、そういうことも体感的にきっとわかっているのだと思います。だから、新城の活躍には本当に嬉しくなるし、「ニッポンのサムライの実力を見せた」という言葉がつい口に出るのもわかります。日本人は、ソニーやシャープやトヨタやホンダだけじゃないんだぞ。身体能力だって、根性だってあるんだぞ。気高い誇りやプライドを持った日本人だって、いるんだ。そういういことを言いたくなるのは、本当によくわかる。

そこで思わず「サムライ」という言葉が出てきてしまうのではないか。日本には「ブシドー」というのがあって、それは「キシドー」に通じる精神文化で・・・という理解は西欧にも少しは流布しているでしょう。インテリでなくとも、黒澤明の映画などからそういう日本文化の一部がヨーロッパにも伝播している。そこで、そういうイメージを流用しようという発想だと思います。「サムライ」という言葉なら通じるんじゃないか。日本人にもすごいのがいる。それを「サムライ」と呼ぼう・・・ということではないか。

だから、西欧で活躍する日本人を賞賛するときに「サムライだ!」と思わず言ってしまいそうになるのは、心情的には本当によく理解できるんですが、よくよく考えると、日本のサムライっていうのはそんなに立派なものだったのだろうか、ということです。私はサムライのことをよく知りません。でもサムライという言葉で日本人を再定義するのはあまり感心しません。なぜなら古い言葉、古い価値観だからです。

たぶん、新城のような新型の日本人を形容するためには、新しい言葉・新しい表現が必要なのだと思います。

たとえば「チバリヨー」とか。

「お前ら見たかバカヤローコノヤロー。アラシロはなぁ、日本が世界に誇るチバリヨーなんだよ!!」みたいな。

ヨーロッパ人で「チバリヨー」の意味がわかる人はいないだろうけど(笑)。

最近、「銀輪の覇者」と「エデン」いう二冊の自転車小説を読んだんですが、どちらにも人種差別というモチーフが織り込まれていてなかなか考えさせられました。ヨーロッパというのは、陸続きにいろんな民族のいろんな国があるので、戦争も多かった。そのせいもあると思いますが、ナショナリズムは日本人には想像できないほど激烈なものがあります。どんな分野でも、ヨーロッパで活躍するというのは大変なことです。だから新城や別府が活躍すると私もつい嬉しくなってしまいます(ずっと昔に活躍した市川雅敏さんや森幸春さんといった人々の苦労は、もっとすごかったのかもしれないけど)。

別にサムライとかじゃなくてもいいから、頑張れ新城選手!! 

著者
マスター

2007年開設の自転車レビューサイトCBNのウェブマスターとして累計22,000件のユーザー投稿に目を通す。CBN Blogの企画立案・編集・校正を担当するかたわら日々のニュース・製品レビュー・エディトリアル記事を執筆。シングルスピード・グラベルロード・ブロンプトン・エアロロード・クロモリロードに乗る雑食系自転車乗り。

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