自転車は耐久消費財であってほしい

今年になってから、私は以前よりカメラに接する機会が増えたのですが、現代のカメラマニアの消費行動にはちょっとしたカルチャーショックを受けました。

私自身、図らずもその「カメラマニアの消費行動」を取るようになってしまったので、私の例で説明したいと思います。まず今年の春、私はオリンパスのE-P1というカメラを購入しました。8万円程する高価なものです。購入時、このカメラは長期に亘り愛用したいと考えました。しかしデジタル製品ですから、内部プログラムはいずれ陳腐化してしまうだろう。だから二年か三年くらいの付き合いになるだろう。そう思っていました。

しかし実際は、そのE-P1というカメラはわずか数ヶ月間で手放してしまいました。E-P1を下取りに出し、差額を払ってE-P2という上位後継モデルを購入してしまったのです。えっそんなに早く? と思われるかもしれませんが、どうやらこういう消費行動は、現代のカメラ愛好家のあいだでは結構普通のことのようです。5年や10年使うぞ、という気持ちでカメラを買う人は、もういなくなってしまった。

デジタルカメラが登場する以前、カメラというのは一生モノだったと思います。高価なレンジファインダーや一眼レフカメラというものは、数ヶ月や数年でリプレースするようなものではなく、自分から息子へ、息子から孫へと相続させてもおかしくないような耐久消費財だったと思います(ちょっと大袈裟かもしれませんが)。しかし、現代のデジタルカメラは、一年に一度とか、すごいのになると半年に一度とか、同一製品の上位後継機種が発表されたりするので、あっというまに性能が陳腐化してしまうのです。すると、手元の製品がまだ中古市場で価格が高いうちに売却してしまって、より高性能の新製品をわずかな差額で購入したほうが賢いということになります。

こう書くと、モノを大事にしていないとか、もったいないとか、浪費だとか、いろいろ言われそうですが(私自身、当事者でなければそう思ったはず)、デジタルカメラ愛好家の世界ではこうした消費行動は異常なことでも何でもなく、むしろそうするのが当然といった感じです。デジタル製品につきものの一種の「はかなさ」がそうさせるのかもしれません。また、デジタルの世界では、あまりに古いものは実用上の価値が全然なくなってしまいます。10年前のチネリのスレッドステムは現在でも十分に価値があり、いやむしろ現在だからこそ血眼になって探しているという人も多いと思いますし、末永く愛用したいと考えている人は多いと思いますが(そして現在でも十分に実用に耐える)、10年前の100万画素のコンパクトデジタルカメラ、たとえばスマートメディアを使用するフジのFinepixなどは、現在はジャンク品扱いになるのではないでしょうか。

ここで話を自転車に戻しましょう。たとえばロードバイクなり、MTBなりを買った人が、3ヶ月や6ヶ月に一度、フレームを交換する、という事態はあまり考えられないような気がしますが、どうでしょう。勿論、ポジションが全然合わないものを買ってしまったのでリプレースした、というようなことはあるかもしれません。また、違う材質の自転車を楽しみたいので買い増しするという方は結構多いでしょう。それでも、このコルナゴのクロモリは3ヶ月楽しんだから、そろそろ下取りに出してデローザにしようか、とか、このLOOK 595は半年楽しんだから、そろそろ下取りに出してTIMEのにしよう、ということは、あまりないのではないでしょうか。

勿論、人によっては数年に一度は愛車をリプレースするという人も多いかもしれません。それは、そんなにヘンなことではないかもしれません。しかし、カメラの世界では、極端な人になると一ヶ月も経たないうちに売ってしまい、また別のを買う、という人もいるようなんですね。

これは、どちらがいいとか悪いとかではないでしょう。デジタル製品の特徴と、プロダクトのライフサイクルの速さのせいで、自然にこういう状況になっているのだと思います。ただ、スポーツサイクルは、個人的にはもっとスパンの長い耐久消費財であってほしいような気がします。三ヶ月に一度、自転車を下取りに出して新車を買うといったことが当たり前になったら、なんとなくイヤな感じがします。ただ、これは杞憂で、実際にそういうことにはならないでしょう。イノベーションの周期が自転車の世界とカメラの世界とでは全く異なります。

万年筆とノートパソコンの違いのようなものなんでしょうか。