誤字脱字と交通事故 思い込みによって現実を補完する脳の恐怖

文章をたくさん書いていると誤字や脱字が増えてきます。このブログでも昨日の記事で、PSIと書くべきところをBARと書いてしまうというとんでもない誤字がありました。また「感想」と書くべきところを「乾燥」と誤変換。ありがたいことに読者の方からの指摘で気付きました。

ところでなぜ誤字や脱字が起こるのでしょうか。注意力が散漫だからでしょうか。それもあるでしょう。しかし文章を書き終えたあとに自分で注意深く誤字脱字のチェックをしてもなお、それらが残っていたとしたら? 校正というプロセスさえすり抜けてしまうとしたら、いったい何が原因なのでしょうか。

誤字脱字とある種の交通事故との類似点

誤字脱字を発見できずに文章をアップしてしまうプロセスと、ある種の交通事故が発生するプロセスには、ある類似点があるように思われます。どんな種類の交通事故かというと「見えなかった」というタイプの事故。よく事故を起こしたドライバーが「自転車や人が突然、飛び出してきた」とか「前を見ていたが、そこにいるのに気付かなかった」と説明するタイプの事故です。

人間の脳は、五感で受け取る情報のすべてを細部にわたって正確に認識しているわけではありません。数多くの「補正」が入ります。視覚情報についてもそうです。

たとえばクルマのドライバーの前を、自転車が左から右へと横切ろうとするとします。その場合、脳がその自転車の「線」のような動きのすべてを切れ目なく、シームレスな映像として処理しているかというと、そうではなく、視界に現れた瞬間、1m進んだあと、さらに1m進んだあと、といったふうに、現実を「点」として認識するそうです。

動画のフレームレートのことを考えるとわかりやすいでしょう。スーパーハイビジョンでは最高120fps、つまり1秒間に120コマの静止画まで記録できますが、現実の1秒間では120以上の事象が連続して発生しているわけで、そうなるとスーパーハイビジョンでもそれは記録できません。

人間はビデオカメラのようにフレームの連続でものを見ているわけではないようですが、フレームレートにたとえるなら視覚は20〜30fps、脳は60fps程度の処理能力しかないという見解を多く目にします。処理速度が追いつかない場合は、脳が勝手に補完します。


(↑よく「肉眼では見えない」などと言われる秒間数千〜数万fpsのスーパースローモーションの世界。現実にはこれ以上の細かい動きが連続していても脳が認識できるのはほんのわずか)

脳は「点」と「点」のあいだを補正します。「点と点のあいだはおそらくこうだったんだろう」と推測し、それをもとに事象の記憶が形成されます。そしてこの経験・記憶をベースに「点」が次に移動する方向や移動速度が推測されます。

左のあそこに自転車が見えている。でも次の瞬間あれが目の前に来ることはない。あの点が現れるのはもう少し後のことだろう。そういう思い込み、補完によって自転車の姿は視界から消えます。そうして事故が起こる。という説を最近海外の動画で見たのですが、説得力のある話だなと思いました。

チェックをすり抜ける誤字脱字

出版社や新聞社には誤字をただしてくれる校正専門の部署があったりするようですが、一般人にそんなものはありません。自分で書いた文章のチェックを自分でやります。これがまた難しい。何度やっても間違いが残ることがあります。

昨日、こういう誤字を出しました。

この敷居はまだ決して低いとは言えないな、というのが正直な乾燥です。

この文の「乾燥」という誤字は、もちろん「感想」のつもりで書いています。文章を書いているとき、キーボードに「kansou」と打ち込んでスペースキーを押し、変換候補の中からそれっぽいものを選んだわけですが、「読み」は共通しているものの「文字面」は似ても似つかない単語です。なんでこんな漢字を選んだのかわかりません。でも脳が何らかの補完をしてしまい、これでいい、と判断したのでしょう。

文章作成時だけでなく、文章のチェック時にもこれは起こります。校正のために文章を読むというのは難しい作業で、やっていると「意味を考えながら読む」ことと「推測をせずに読む」ことの両方が要求されることに気付きます。

これは結構大変なことです。というのも「これはこういう意味なんだろう、だからこの漢字でいい」という作業を続けていくうちに、効率性を求める脳が「うん、これもこういう意味だよね、こういう文脈だよね、うん意味通っているね、そして次もこういう意味だろう」とだんだん推測の世界に突入していくからです。

そして「こういう意味だろう」と思った瞬間から、現実の姿が見えなくなるのです。誤字を発見できなくなります。乾燥も換装も観想も完走もぜんぶ「感想」だと思い込んでしまう。

その「かんそう」は私の中ではその時「感想」でしかない。それ以外の漢字ではありえない。英語のImpressionという意味だ。「乾燥」なわけがない。「乾燥」という文字なんか見えない。

もしそんな文字が飛び出してきたら、それは「自転車や人が急に目の前に飛び出してきた」ために発生する交通事故と同じ類のものなのです。そしてそういう誤字脱字や交通事故は現実に発生するわけです。

クマの姿なんか見えなかった

年を取ると誤字脱字は増える。しかしそれはボケを意味しているわけではない

年を取るにつれ誤字脱字が増えてきたように感じます。周囲の人々を見ていてもそういう傾向があります。するとこれは老化現象ではないか、俺は、いや俺たちはみんなボケはじめているのではないか、と心配になるのですが、実際は長く生きていると事象の経験量が増えてきて、パターン認識が発達することにも起因しているのだろうと思います。

今までもうさんざんこういう動きは見てきた。だから次もこう動くはずだ。そういう感じの、良く言えばパターン認識、悪く言えば思い込み、バイアスの量が、加齢とともにどんどん増えていきます。

すると仕事を効率的にこなしていく上では、毎度毎度考える量が減るので、有益だったりします。これまで機械的な情報処理に充当していた時間を、より創造的な作業に割り当てられるようになるからです。

しかしこれは諸刃の剣なわけです。年を取るにつれいろいろな経験をして様々なことを効率的にこなせるようになった。こうして人は知恵のある大人になり、仕事のデキる男になったりする。でもそれに比例するように、エラーや事故を起こす蓋然性も増えてします。

これは気をつけないといけないとは思うのですが、果たして気をつけてどうにかなるもんなんですかね。よく「油断」という言葉が使われます。「油断するな」とか。でもねえ、これはそんな簡単な話ではないと思います。