入部正太朗選手の勝利は正しかったのか

今年2019年の全日本選手権ロードレース(6月30日開催)でバーレーン・メリダの新城幸也選手を破り勝利した、シマノ・レーシングの入部正太朗選手。その「勝ち方」をめぐって、ネットでは様々な議論が巻き起こっていました。

パンチャーの新城選手に長い時間「前を牽かせ」て力をためていたスプリンターの入部選手が最後に勝利したのですが、その勝ち方がフェアでない、汚い、正しくない、という主張する人が相次ぎ、いいやそんなことはない、勝つことが大事なんだ、という人々と大きく対立していました。

果たして、入部選手の勝利は、正しかったのでしょうか。それとも正しくないものだったのでしょうか。

西洋の「スポーツマンシップ」 そのまま信じていいの?

西洋に端を発するサイクルロードレースには「騎士道精神」があるとよく言われます。そこでは日本の「武士道」同様、「勝ち方」が大事だとも言われます。様々な暗黙のルールがあり、そこから外れた勝ち方をするのは正しくない、と言われたりもします。

さて、最近読んだ超有名なビジネス書に、こんなおもしろいことが書かれていました。経営に関するセクションなのですが、スポーツの話が出てきます。まず、お読みください(黄色マーカーは本記事筆者によるものです)。

日本人は武士道の精神と言いますか、勝ち負けそのものよりもプロセスでの名誉も重んじますので、卑怯に思える手段を使って勝つことには大きな心理的抵抗があるものです。

しかし彼ら(※西洋人)は「勝つ」という結果そのものに純粋にこだわるので、勝利の分かれ目がどこで決まっているのか、勝てるようになるための必要条件は何か、必死に合理的な分析を行います。そこにためらないがないのは、まさに日本人からはサイコパス的に見えます。

(中略)

私の知り合いのイギリス人のスポーツ評論家は、だいぶアルコールが入った時に「西洋のスポーツマンシップというのは、そもそもそういう考え方が本音ではないからこそ、声高に叫ばれているに過ぎない。

我々は基本的に勝つための手段を選ばないのが常識だ。油断させるためのプロパガンダなのに、キレイな戦いを信じて引っ掛かるのはお人よしの世間知らずだ」と、私にはっきりと言いました。その考え方は、私から見るとかなりサイコパス的に感じました。

(中略)

日本人は感情と理性を切り離すのが苦手な人が多いと私は感じています。意思決定に情緒が深く入り込んでいるのです。英語では、感情 (Heart) と理性 (Mind) を言葉で使い分けることが多いですが、日本人は感情と理性という単語で使い分ける人よりも「心(こころ)」という1つの言葉で、その2つを一体として感じている人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか?

目的に対して正しくあることよりも、周囲との人間関係がうまくいくことや、自分にとって痛くない選択肢を優先する傾向を感じませんか? 情緒的なベクトルが入り込んで、目的に対して正しい選択肢よりも、できるだけ痛くない方向へ進もうとする。あるいは皆が納得しやすいように調和を重視するあまり、皆の意見を足し合わせて丸めた「落としどころ」を最初から考えている。

それらは、本当に中長期的に全体にとって正しい意思決定なのでしょうか?

「確率思考の戦略論」 森岡毅・今西聖貴 著 p.119-112 より引用

これを読んで、私達日本人は「本場西洋のサイクルロードレースでも大事にされていると言われる騎士道的なものや、特殊な共闘精神・助け合い」を信じているけれども、果たしてそれをどこまで信じて良いのか、と思ったりしました。

目的に対して正しい勝ち方

本で上のくだりを読んでいる時に、私は今年6月の入部選手の勝利をすぐに思い出していました。

入部選手の勝ち方は、ネットでちょっとした炎上状態になっていましたが、その理由は上で書かれているように「目的に対してブレることなく、確実に勝てる方法を用いて、何が何でも勝つ」という姿勢と、「勝ち方のプロセスを大事にする」という姿勢、まさにこの対立だったように思います。

入部選手は最初に貼ったYouTube動画のインタビューで、「絶対にどんなことをしてでも勝ちに行く」つもりだったと明かしています。

入部選手の勝利の瞬間

入部選手の勝利の瞬間。勝利は天上の父に捧げている

結果、彼は勝ちました。入部選手が取った戦術は、彼が設定した目的に対して正しいものだったことになります。

新城選手はどう思っただろう?

2位に終わった新城選手は、入部選手の勝ち方をどう思ったでしょうか。勿論、本人しかわからないことですが、ネットで見かけたような「汚い勝ち方しやがって」という感想は、全く持たなかったんじゃないか、という気が私はしています。

新城選手は世界最高峰のロードレースであるツール・ド・フランスのようなレースにも参加している、まさに世界水準の選手です。西欧人がどういうマインドでレースに、勝負に臨んでいるか。何が本音で、何が建前なのか。そういうことを全て知りつくしている選手に違いありません。

だから彼はきっと、「入部の野郎、俺に前を牽かせて勝ちやがって」なんてことは思っていないんじゃないか。そうではなく、単に戦略をミスったとか、春の怪我からもっと早く回復できていなかった自分が悔しい、とか、そういう感想だったのではないでしょうか。※個人の推測です

サッチャー首相と入部選手

ところで上で紹介したビジネス書では、「目的のためには感情を排して意思決定できる」のは主にサイコパスであり、西洋の会社のCEOや重役にはそういう非・人間的とも言えるサイコパスが多い、という話が出ています。

Elon Musk

相当変わり者らしいスペースX社・テスラ社のCEO イーロン・マスク。仕事のことしか考えられずネクタイを最後まで結べないのは有名 © Steve Jurvetson

サイクルロードレース界において、とにかく勝つ、何をしてでも勝つ、暗黙のルールなど知らぬ、とにかく俺が勝つ、何度でも俺が勝つ、誰にも勝利は譲らない、という感じの人というと、エディ・メルクスをすぐに思い浮かべます。

Eddie Merckx

どんなレースでもとにかく勝ちに行ったエディ・メルクス。「忖度」とは縁遠かった人 © Nationaal Archief

そういうメルクスの態度は、やはりかなり叩かれたと聞いています。完全にサイコパス型です。

では他人の心の痛みがわかり、空気も読めて周囲とも協調的であり、感情豊かな人間は、「勝つ」ために必要な意思決定はできないのでしょうか?

どうもそうではないようです。その例として、その本では「鉄の女」として知られたイギリスの元首相、マーガレット・サッチャーの話が出てきます。サッチャーは「非常に感情が豊かで、人間味に溢れた」女性だったそうです。

Margaret Thatcher

議論よりも実行を優先したマーガレット・サッチャー元英国首相。内閣の議論なんかで時間を無駄にできません、という言葉が有名

サッチャー元首相のように、周囲との協調性を重んじる感情豊かな人間でも、訓練と修羅場を通じて、勝つために強硬で正しい判断をできたそうです。

入部選手はサッチャー型なのだろうか、と思ったりしました。

もしあの日本選手権で入部選手がもっと新城選手の負担を減らすように走り、その結果負けていたとしたら、彼は新城選手のようには世界の舞台で活躍できない選手として終わったのではないか、という気がしています。

入部選手は数日前、NTTプロサイクリングチームへの移籍が報じられました。(チーム・ディメンションデータが名前を変えてNTTプロサイクリングチームになった)。

「美しく負ける」はありえない

日本で流通している、本当かどうか誰もよく知らないロードレースにおける献身や自己犠牲、助けあいといった「美しい物語」に通じていながらも、冷徹に勝つこともできた入部選手。新城選手同様、きっと世界で通用する人なのではないか、と、期待してしまいます。

美しく勝つ、というようなことは、世界のトップ5に入るくらいの人がきっと駆け引きに、戦術的に使う言葉であって、そのずっと下のレベルにある選手たちは、そんな綺麗事言っていたらとても上には上がれないんじゃないか。

  1. 美しく勝つ
  2. 美しくなくてもいいから勝つ
  3. 美しく負ける

美しく勝てるのなら、それに越したことはないでしょう。しかし世界を目指すのであれば、最後の選択肢だけはやっぱりありえないんじゃないでしょうか。

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