ひとが一人前のチューブレスレディ職人にはなるまでには10年20年の歳月を要すると言われている。見習い段階では実走など許されない。長く厳しい、そして理不尽な修行を積まなければ一人前のチューブレスレディ職人にはなれないのだ。
もむ
見習いがまず最初に修行するのは「もみ」の技術である。これはタイヤやホイールの取扱説明書には書かれていない秘伝の技術だ。どこをどのようにもんでいくか。それは実際のネタに触れてみるまではわからない。ここには標準化された技術は存在せず、板場で培われた勘だけが頼りとなる。
ビードがハンプにしっかり均一に乗るように、丁寧にまんべんなくもみしだく。この作業を怠ると、皆が寝静まった深夜、部屋の片隅からプシュ〜…という静かなエア漏れの音が聞こえてくることになる。いや、それ以前にビードが上がらないことさえあるのだ。
ひっぱる
確実にビードをあげ、そしてビードが上がった後のエア漏れを防ぐにはタイヤを「ひっぱる」技術も習得しなければならない。これもビードをリムに密着させる秘伝の技術である。ここに科学はない。誰にも共有できない、属人的なスキル。チューブレスレディが爆発的に普及しない理由がここにある。
どのくらいの力で、どの方向に、どのくらいの時間ひっぱればいいのか。それは誰も教えてはくれない。親方さえ教えてくれない。親方はただ黙ってあなたの作業を眺めているだけだ。正解は自分の力で探すしかない。
ふる
チューブレスレディ職人にとって大切な技術がもうひとつある。それは「ふる」だ。ビードが上がり、シーラントを入れる。するとシーラントはタイヤの底部にたまることになるが、その状態でホイールを両手で持ち、中華の料理人が大きい中華鍋で野菜炒めを「かえす」ような感じで、リムを上下にふるのだ。
この目的はタイヤの底部にたまっているシーラントを波立たせ、上下左右にちゃぷちゃぷとしぶかせ、ビード付近にまんべんなくシーラントを付着させることにある。
当然ながら、タイヤの内部をうかがい知ることはできない。神経を研ぎ澄まし、シーラントの移動で発生するわずかな質量の移動をてのひらで感じ、液体が波立つ音に耳を済ます。これを全周にわたり、繰り返す。
これらの非科学的な修行を通じてひとははじめて一人前のチューブレスレディ職人となり、晴れて野山を軽やかに走ることができるのだ。
その日の自分の笑顔を思い浮かべ、この理不尽な修行を続ける男がいま、ここにいる。
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