問:なんでBianchiを選んだの?
答:ミーハーだから。
はい、それ以外の何物でもございません。
偉そうに寄稿しております私ですが、執筆現在自転車歴は3年とちょっと。
愛車紹介と言っても、他の方のように性能のレビューができるほど乗り込んだり、他のフレームと比較なんてできませんので、私と愛車・水縹(みはなだ)号の歴史を紹介いたします。
最初に大事な注意
モデル名はVia Nirone 7 です。Via Nironeじゃありません。7を抜かさないように。ショップですらこのミスをしているのを見かけます。Bianchiの初号店がミラノのニローネ通り7番地にあったからこの名前なんです。ここ、テストに出るからね。
えっ、ミラノに住んでてVia Nirone 7を持ってたのに、ニローネ通り7番地に行ったことがないって? そうよ、悪かったわね!
購入までの長い長い道のり
スポーツバイクを購入を思い立ったきっかけ
徹底的にインドア派な家庭に生まれ、スポーツと無縁の生活を送っていた私ですが、唐突に自転車への興味が噴出したのは確か2014年の年の瀬が迫る頃、イタリアでの就職が決まってからでした。
将来はヨーロッパで働いてみたいと漠然と考えていて、また、諸事情でドイツを訪れることが多く、そのたびに自転車道が整備された美しい街並みを見て、通勤するなら自転車なんて楽しそうだなぁ、と妄想していました。
そして無事イタリアはミラノでの就職が決まり、イタリア! 自転車本場国じゃん! こりゃもう自転車通勤するしかないでしょ!! とテンションが上りまくりました。
就職先が発行したビザ申請用の書類(写真付き)に性別が「男」と書かれていたおかげで就業が先延ばしになり、のんびりと出国準備をすることができました。
その間にしたのは自転車屋さんに行って相談すること。相談した結果、自転車を日本で買って持っていくのはナンセンスという結論にはなったのですが、どんなメーカーがあるのかな? とか、ママチャリとの違いは何かな? と調べることくらいはやりました。
当時の私は大学院を卒業したてでして、脳裏に浮かぶのはキャンパスにずらーーーっと並ぶクロスバイク。当然私の頭の中にはそれしかないわけです。たまたま同期に2名ほどロード乗りもいましたが、仙台から東京まで走ったなんて言われても、当時一般人だった私は、当然変な人を見る目で彼らを見ていました(今は尊敬の眼差し。M君、T君、ごめんね)。
そして知っているメーカー名は、みんな大好きGIANTを始めとする、錚々たるクロスバイクのメーカーばっかりでした。
その中でも際立っていたのがBianchi。少し前に始まった弱虫ペダル(Kindleのライブラリに入っているが未読)を発端とするスポーツバイク・健康ブームと、シャレオツな若者をターゲットとした巧妙なアパレル展開、特に当時大流行したボディバッグ(英語ではmonorailと呼びます。Body bagは死体袋の意味なので注意!)やバックパック等で、あのチェレステブルーは私の脳裏に強く強く刻み込まれたのです。
Bianchiカコイイ! チェレステがオシャレでカワイイ! しかもミラノ発祥だって? こりゃもうBianchiしかないじゃん! Bianchiバンザイ!(そろそろBianchiがゲシュタルト崩壊してきた)
余談ですが、Bianchiのオシャレアパレル展開はアジア限定のもので、イタリアでチェレステブルーのこういうファッション商品を見かけることは皆無です。
私は日本で購入したBianchiのボディバッグを持っているのですが、それを持ってBianchi取扱店に行ったところ、ものすごく珍しがられました。
それにしてもこの一般向けブランド戦略は、オシャレ大好き・外国産大好きな日本人の琴線をくすぐる非常に巧妙なものだと、今でも感心します。
打ち砕かれる夢
ミラノへの引っ越しが無事終了しました。そしてミラノのBianchi Cafeに行きました。その場に並み居るOltreやInfinitoやSempreやAriaなどのドロップハンドル勢には目もくれず、フラットバーのクロスバイクの値札を見たわけですが、
クロスバイク、高い!!!!
そうなんですよ。Bianchiって、クロスバイク勢の中でも高い方なんですよね。
しかも日本にいたときにクロスバイク乗りの同期から参考程度にお値段は3万円くらいと聞いていたんですが、今思えば彼、ルック車乗りだったんですよね…
引っ越し直後で手元に資金が無かった私は、ついでに(興味はなかったけど)他の自転車のお値段を見て完全に打ちひしがれました。そしてその足で町の中心にあるDecathlonに赴き、B’TwinというメーカーのMTB、Rockrider 340というモデルを170ユーロくらいで購入し、無事街乗り自転車を手に入れたのでした。
ロードバイク、ものすごくかっこよくない?
ミラノは中心の直径が大体5-6km。生活圏内と町の真ん中へのほんのちょっとのお出かけなら、公共交通機関とママチャリレベルの自転車で十分な町です。私はMTBでおおよそ満足していました。が、案外すぐ、私の夢が再燃する機会が訪れたのです。
忘れもしない2015年5月31日。その日、私は(確か)センピオーネ通りに設置されたゴールゲート前にカメラを構えて陣取っていました。
数日前に、大学の後輩でロードレースファンなN君からメッセージが来ていたからです。
日曜日、ミラノで自転車レースがあるんですよ。写真撮ってきてくれませんか?
そう、Giro d’Italia(イタリア語をかじっていた私はジロ・ディタリアと発音します)2015、最終ステージです。トリノを出発してミラノに到着し、ラストはミラノ中心のセンピオーネ公園を周回する総計178kmの平坦コースでした。
どこがゴールか調べて現地に行くと、通りの様子がいつもとは全然違っていました。道路は完全に封鎖されて金網が建てられ、脇には2階建てのVIP席が設けられ、あちこちに物販のトラック、そして溢れるピンク色。
ジャージの色も、チーム名も選手名も何も知らない私。でも、続々と集まってくる市民や自転車ファンの様子に、否が応でも熱気が高まっていくのを感じていました。
しばらくして、キッズのスプリント競争があり、地元チームのパレード走行があり、キャラバン隊によるお土産のバラマキがあり(Baloccoからもらったジロのロゴ入りネックウォーマーは現役で使ってます)、
ミス・ジロのウォークがあり、
BMXのショーがあり(メディア陣で全然見えなかった)、DJが更に盛り上げ、
そして…
来た!!!!
え? 何あれ、自転車? なんであんな速いの?
そして逃げの2名の後に間髪入れずやってくる高速のプロトン。流れる色、色、色、呆然とする私、周囲の歓声と熱狂。
周回なのは知ってたけど、どこが先頭でどこが最後尾なのか全然わからないし、今何周目なのかもわからなくなってたし、周回の平均速度が50km/hを超えてたようなDJのアナウンスがあった気がしたけど、とにかく周回コースだったおかげで呆然としていた私も我を取り戻し、後半からはようやく落ち着いて写真を撮ることができました。
トップでゴールしたわけでもないピンクのジャージを着た人がなんで両手を挙げて喜んでるのかわからんし、表彰式を見ようにも表彰台がどこにあるのかもわからんし、なんかもう何がなんだかわからんけど、レースが終わって帰路についた私は、ただ一つだけ、心に固く誓ったのでした。
ロードバイク、買おう。
そして購入へ
その後あれやこれやあって、購入資金が溜まったのは翌年の2016年に入ってからでした。
Bianchiを購入することは決定済み。モデルは、今後自転車をずっと続けるくらい好きになるかはわからないから、とりあえず一番安いVia Nirone 7。コンポは、日本の友人に聞いたらTiagraがいいって言ってたから、Tiagraにしときゃいいだろ。
不幸にして当時身近に自転車乗りの友人がまったくおらず、一人で意を決してBianchi Cafeに再訪したわけですが、店員さんの対応が悪く、心が折れそうに。
しかし地元の友人(非自転車乗り)にこの話をしたところ、「それならお店についていって通訳してあげるよ」とのありがたい言葉を賜り、ミラノの他のお店(店員さんはとっても良心的だった)で無事購入。新しい相棒を我が家にお迎えしたのは、2016年4月19日でした。
メンテや乗り方の本を買って勉強したり、日本のメディアを読んだりしてはしていましたが、実際に触って、しかも自分のものになるのはこれが初めて。ドロップハンドル、STIレバーでのシフトチェンジ、慣れない前傾姿勢。何から何までもが新しく、とにかく興奮していました。
名前も即座に決定。和風の名前にしたかったのと、特徴的な色から、「水縹(みはなだ)」と命名しました。
購入後
手探りのライドとFortunaとの出会い
誰も何も教えてくれない中、手探りで近場を走ったり、ドキドキの初輪行をしたり。足りない知識はネットで補うべく、様々な自転車メディアを読み漁っていました。ペダル交換やサドル交換をしたりもしました。
そんな中出会ったのが『ろんぐらいだぁす!』。主人公の亜美ちゃんと同じように超初心者だった私は、「あるある~」と感情移入しまくり、またたく間にファンとなりました。
その中で、ツーリングやセンチュリーライドの回を読み、私も何かやってみよう! と目標を立てることに。
2年目(2017)
- 100km走破
- 年間走行距離1000km以上
3年目(2018)
- グランフォンドを時間内に完走
- ロマンチック街道またはストラーデ・ビアンケの走破(泊まりがけ)
- 年間走行距離3000km以上
2年目は難なくクリアしましたが、グランフォンドはいろいろと考えを変えるきっかけとなりました。
えっ、私の自転車、重すぎ…? というわけではない
参加したのは2018年のFelice Gimondi。Bianchi社主催です。当時既にミラノ(開催地ベルガモから鈍行で1時間)からピサ(鈍行1時間+特急4時間)に引っ越していて交通の便は悪かったのですが、Bianchi乗りだし、ということで参加しました。
登録時に申請したのは一番短いコース。 89.4km/1400m upです。
それまで平坦しか走ってこなかった私は、ここでようやく登りの練習もするようになりました。レースに合わせて、ブレーキをReparto CorsaからUltegraに、ホイールをShimanoの鉄下駄からCampagnoloのZondaに変えたりもしました(理由は見た目)。
運良く2018年の初頭に職場に短期でやってきた同僚が経験豊富なガチレーサーだったため、一緒に走って知識や技術を吸収しました(でもアドバイスは「根性で登れ!」しかくれなかった)。
元々運動が苦手だった私。結果は狙わない、楽しく、無事故で、時間内に完走できればいいや。そう亜美ちゃんのように考えていました。
そしていざ当日。
散々でした。今までの自分の走りからペース計算していったのに、全然計画通りに走れない。めっちゃ遅い。体力が持たない。早々に後方脱落し、ラストのセルヴィーノ峠では回収車が後ろからストーキングしてくる始末(大丈夫だから! 先行って! とハンドサインをすると、ドライバーのお姉さんが窓からグッドラックのサインを出してくれた。お姉さん、ありがとう)。
なんとか時間内に完走はしたものの、周囲に並ぶ錚々たる高級自転車を見て思いました。
えっ、私の自転車、重すぎ…?
これはやっぱりカーボンフレームを買わないとだめ? こんな自転車じゃ走れない?
しかし、直後に考え直しました。
違う、機材のせいじゃない。
だって私は156cm/(内緒♡)kg、自転車を入れたところで総重量は男性よりも余裕で下。
これは私のせいなんだ。私の体重が重いんだ。そして私の筋肉が少なすぎるんだ。
鍛えよう。もっと速く、もっと遠くへ走れるようになりたい!
そしてツーリングへ
その後グランフォンドのようなレースに参加することはなくなり、ツーリングが主体とはなりましたが、速く走ることを意識したりヒルクライムに挑戦したりと、より真剣に自転車と、そして己と向き合うようになりました。
また、奇しくもこのグランフォンド直後、友人の紹介で、同じイタリア在住の日本人女性サイクリストと知り合うこととなりました。通称「姉さん」。年齢が近く、私よりも遥かに経験豊富なライダーです。
当時私はロマンチック街道を走る計画を立てていたのですが、さすがに一人で国外での自転車泊りがけ旅はちょっと不安に思っていました。渡りに船と姉さんを誘ってみたところ、快諾してくれましたので、同年の8月、彼女と一緒に無事400kmを走破できました。
他にもいろいろ、ソロ・ペアツーリングは始めたばっかりですが、詳細はまた別の機会に。
今のところ、次の目標は
- 日の出から日没までの間に200km走破
- アペニン半島横断C2C
- いつかアルプス縦断
です。
終わりに:自転車(この子)となら、どこまでも行ける
気に入っているところ
- 見紛う事なきチェレステブルー
- エレガントなスローピング
- 何よりも自転車であるところ
気に入っていないところ
- 重い(仕方ない)
- ケーブルが外装(外装だとダウンチューブにボトルケージをつけるときに干渉するから嫌。後年のモデルで内装に)
- 己の身長(ハンドルバーバッグ、大型サドルバッグの選択肢が限られる)
ミーハーが高じて購入した自転車ですが、人生を変えてくれた、本当に良い買い物だったと思います。
唯一悔やむべきは、最初から105を搭載していなかったところかな。それでも私にとっては、10速から11速の違いなんて、ほぼ自己満足のレベルですが。
他社のエントリーモデルより少々値が張りますが、自分で憧れて、納得して購入して、満足しているわけですから、同じようにBianchiにミーハーな方は迷うことなく買えばいいと思います。
私にとって自転車は何か? と聞かれたら、パートナーとか、カノジョとか(イタリア語で自転車は女性名詞la bicicletta)、グランフォンド後には「mia principessa pesantissima(私の超重量級お姫様)」なんて冗談めかして言うこともありました。
でも超重量級でも、私の大事なお姫様なんです。何であっても、自転車となら、どこまでも行ける。夢は広がるばかりです。
現在のスペック
- Via Nirone 7(2016)
- フレーム アルミ
- フォーク カーボン
- ホイール Campagnolo Zonda(Shimano、2017)
- タイヤ Continental Grand Prix 4000S II
- ハンドル そのまま
- STIレバー Shimano 105 R7000に換装
- ブレーキ Shimano Ultegra R8000に換装
- フロントディレイラー Shimano 105 R7000に換装
- リアディレイラー Shimano 105 R7000に換装
- チェーンセット Shimano 105 R7000 34T/50T、170mmに換装
- カセット Shimano 105 R7000 11s 11-32Tに換装
- ペダル Shimano PD-R550 SPD SLに換装(ツーリングはSPD)
- BB Shimano Dura-Ace BR-RS500に換装
- サドル Selle Italia – DIVA Gel Flow Womenに換装
- 重量 9.5kg(ツール缶・ポンプ含む)
Tiagraから105に換装するのにそこそこ投資したから、あと2-3年は乗らないとだめですね。
次はどのフレームがいいかなぁ。誰か教えてください。
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