よみもの

承認欲求の果てに、自分と自転車との間に新しい関係が生まれていたことを知ったホビーロードレーサーによる作文

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海外掲示板で、ちょっと刺さる「メッセージ作文」を読みました。ロードバイクをはじめた人が、自分の自転車が安いことを気にしていたけれどだんだん気にしなくなっていったという、よくありそうな話ではあるのですが、素直な気持ちが飾らずに表出しているようなところがあり、不思議な読みごたえがありました。また、小説のような重層的な輝きがあります。

cyclists

Photo by Pavel Danilyuk

出典 Go get that bike, not that status.(ステータスではなく自転車を手に入れろ)

安い自転車でもバカにされることはない

以下、スレ主さん投稿の抄訳です。

5年ほど前、ロードサイクリングをはじめました。最初の自転車を買おうとした時はFacebookマーケットプレイスを物色し、アルミのロードバイクを見つけました。リムブレーキでフレームは軽量でした。値段は600オーストラリアドル(※本記事時点のレートで約5.8万円)でした。私は自分に「とりあえず乗りはじめるためにこのチープなバイクを使って、6ヶ月後にアップグレードしよう」と言い聞かせました。当初は「チープな」バイクに乗っていることについて自意識過剰になっていて、用品や経験をより多く持っている他の人たちに対して気遅れしていました。みんな私を見たら笑ってしまうだろう、といつも思っていました。サイクリングはステータス性で有名なスポーツなのだ、と私は考えていました。その自転車をアップグレードするため、少しづつ貯金しはじめました。頭の中では、私が本気であることを示すには5000ドルが必要だろうと考えました。自転車通勤や、この頃は一緒に乗る友達がいなかったので週末の長いソロライドが大好きでした。6ヶ月後、私はこの新しいスポーツにすっかり夢中になり、余った時間はすべて自転車に費やしていました。私は自分の「チープな」バイクをもう少し使い続けることにしました。このバイクでローカルレースに参加したのですが、本当に震え上がるような体験で、はじめての競技でした。115kmのロードレースでした。数百人の出走者がいるスタートラインで、レースのMCが選手たちにバイクの価値(=値段)を聞いて回っていました。自分のバイクがどれくらいするかという理由でそのイベントに参加したわけではないので、とても嫌な感じでした。私はこのスポーツが素直に好きになっていたから参加していたのです。さて、後味の悪さとともにスタートしました。そのレースの一秒一秒が大いに気に入りました。終盤の12%の登りでさえも。

それから12ヶ月が経つ頃には、地元のクリテリウムや160kmグランフォンド、オリンピック・ディスタンスのトライアスロンで競っていました。どれも勝つことはありませんでしたが、ビリからも程遠かったです(トライアスロンの水泳は別ですが、それはまた別の話)。私が自転車に費やしている時間を考慮した妻は、新しいバイクを買う許可をくれました。どのくらいの額が許可されたかは言いませんが、ものすごく寛大な数字でした。新車を買いに行く前日、ライドに出ました。大それたものではなく、家の近くのお気に入りの40kmループでしたが、悲しい気持ちになりました。本当に多くの思い出を作ったこの自転車を売ろうとしているのです。中古市場で買ったこの600ドルのお値打ち品に心底愛着を抱いてしまっていたのです。翌日、ネットで眺めていたバイクを試乗しにいきました。ライドに出てみると、感触やハンドリングの良さに感心しました。しかし何かが欠けていました。ただのモノのように感じたのです。私のバイクのような感じはありませんでした。

私はこのスポーツについての自分の理解が、かなり間違っていたことに気付きました。チープだったり、古い自転車に乗っていることでどんな人間か決めつけられると考えたのは、間違いでした。良いバイクが自分を良くしてくれる、という考えも間違いでした。このスポーツの一員となるために数千ドルを費やす必要があるという考えは間違いでした。私は今でもこのマーケットプレイス・バイクを持っていて、近々に手放すことはないと自信を持って言えます。

サイクリング・コミュニティはとても友好的(welcoming)であることを知りましたし、ハイエンドバイクに乗っている人たちはそこにいることを純粋に楽しんでいました。あなたがどんな自転車に乗っているかなど気にしていません。あなたがそこにいて、楽しんでいるかどうかを気にかけています。ステータスを気にかける人たちは、大抵はグループライドで最初に脱落しているように見えました。誰がそんなことを考えられたでしょう?

私が言いたかったのは、予算がいくらであっても、買えるものが何であっても、高くても安くても、その自転車を買って思い出を作ってほしい、ということです。ステータスは関係ありません。そこにいることが大切なのです。

寄せられたコメントからいくつか抜粋します。

  • 君は君の好きにやればいい。私は私の好きなようにやります(You do you. I do me.)他人がどう考えるかなんて無視しよう。クラブにようこそ(32いいね)
  • ドイツでは時々、事情が逆だと感じたことがあります。明らかに初心者の人がかなりハイクラスのバイクに乗っていると、冗談で„Carbon statt Kondition“ (スタミナのかわりにカーボンか)という言葉が聞かれることがあります。私はバイクで人を判断するような人たちは見たことがありません、クズな人たちは別として。最終的には、値段とは関係なくそれが好きなら好きなんです(99いいね)
  • 自転車がライダーを作る、わけではありません。「Xを手に入れれば、Yをもっとうまくやれるだろう」という考え方の罠に、簡単にはまってしまいます。あなたが理解したように、そうはならないことがよくあります(14いいね)
  • Trek Dual Sport 2(幅広タイヤでフロントショックのあるオン・オフ兼用クロスバイク)でグループライドに参加していたお客さんがいました。グループに付いてきてはいましたが、いつもビリでした。しかし脱落することはありませんでした。参加するようになって6ヶ月後、ちゃんとした(properな)ロードバイクで現れました。最初のライドで彼はグループ全体を易々と粉砕しました。以前と同じエフォートで走った、と彼は言いました。そのエフォートはロードバイクではすごい結果を生んだのでした(31いいね)
  • シリアスに受け取られるものが何だか知ってますか? 乗っている自転車ではなく、ライド中に喰らわす強烈な一撃です(Dropping the hammer on a ride, not the ride you have)。アルミバイクはとても速いことがあるし、スチールバイクもそうです。一番尊敬されるのがそれです。力とスピードです

承認欲求とアルゴリズム脳

スレ主さんは、生まれた時からネットがあったZ世代かなと思います。SNSの流行とともに「他人に認められるべし」という承認欲求の仕組みの中で育ってきて、想像以上にそれに苦しめられてきたのだろうか、と思いました(知らんけど)。

勿論、承認欲求は自然な欲求のひとつですし、それ自体が悪いわけではないでしょうし、冗談として「承認欲求ごっこ」をやるというメタな楽しみもあります。承認が必要不可欠な状況もあると思います。

しかし海外掲示板を眺めていると「この自転車でもレースできるでしょうか? この自転車はカッコ悪いでしょうか? これだとバカにされるでしょうか? これはまともなロードバイクだと言えるでしょうか? これはXbikeと呼んでいいでしょうか?」という「他人にOKをもらいたい」系の投稿が非常に多いことに気付きます(※メタなネタとして楽しんでいることもありますけれども)。

他人に承認されない・認められない場合は、ではどうすればいいでしょうか、と解決策を求めます。上のコメントにもありましたが「どんなXがあればYができるでしょうか」という思考です。

Xを入力すればYが出力される、という図式は、アルゴリズム的な考え方、とも呼べます。養老孟司がよく著書で(批判的に)触れている「ああすればこうなる」という考え方です。

アルゴリズム的な考え方は、簡単なので魅力的です。人は簡単な解決策がほしい。疑問をインプットすると回答がアウトプットされる箱のような装置が人気です。配信者のひろゆきの人気が一時爆発的に上がったのも、出てくるアウトプットは間違っていることも多いけれど、質問したら回答が瞬時に出てくるのが便利で、エンターテイメントとしてもおもしろかったからだろうと思います。

スレ主さんは「ああすればこうなる」(この場合は、高価なバイクを手に入れれば他人から認められる)というアルゴリズム的思考の先に辿り着いたように見えます。ひたすら乗ることによって、時間をかけてたくさんのレースに実際に参加することでそこに辿り着いたのだろうと思いました。関心自体も、他人から認められることではなく、自分と自転車の関係に移ったように見えます。

サイクリングコミュニティ(ここではレースに参加する競技者のコミュニティ)が実際はバイクの値段でライダーを格付けするような人たちではなく、友好的でみんな楽しんでいた、という話も面白かったです。しかし「これいくらするんですか」と聞いてまわるMCのような人がいる。このMCは、自転車メディア、SNS、資本主義、怪しいマーケティングといったものの象徴のようにも思えました。

“Dropping the hammer on a ride”という面白い表現が、コメントにありました。そのハンマーは、札束ですぐに買えるものではないものでしょう。ホリエモンは、寿司職人が何年も修行する徒弟制度は非効率でバカみたいである、美味い寿司の握り方はアルゴリズムですぐに手に入る、という主旨のことをよく言っています。そんなホリエモンは人気です。

しかし競技をやっている人は、強さはアルゴリズム的思考だけでは得られない、時には複雑な試行錯誤をまじえつつ、時間をかけることでしかその「ハンマー」は得られないことを知っている。だから、本当に強い競技者は、他の選手の自転車の値段なんか気にかけていない、「ハンマー」を持っている人間は尊敬される、というのは本当だと思います。

「本当に多くの思い出を作ったこの自転車を売ろうとしているのです。中古市場で買ったこの600ドルのお値打ち品に心底愛着を抱いてしまっていたのです。…しかし何かが欠けていました。ただのモノのように感じたのです。私のバイクのような感じはありませんでした。」という箇所は、単に感傷的なことだけが述べてられているわけではないように思いました。

スレ主さんとその600ドルのロードバイクは、簡単に切り離すのが難しい一体のシステムを形成するに至ったのではないかとも思います。ただのセンチメンタルな話ではない、と思ったのですが、皆さんはどう思われたでしょうか。

著者
マスター

2007年開設の自転車レビューサイトCBNのウェブマスターとして累計22,000件のユーザー投稿に目を通す。CBN Blogの企画立案・編集・校正を担当するかたわら日々のニュース・製品レビュー・エディトリアル記事を執筆。シングルスピード・グラベルロード・ブロンプトン・エアロロード・クロモリロードに乗る雑食系自転車乗り。

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