YouTubeのシマノ公式チャンネル、#RideShimanoに”All Bodies on Bikes”(どんな体型でも自転車に)というドキュメンタリータッチの動画が公開されています(英語ですが自動生成の日本語字幕もあります)。13分以上ある中編動画ですが、多くの問題提起を含む見ごたえのある秀作でした。
オレゴン州立大学の博士課程に在籍中のカイリー・コーンハウザーさんは自称「太っている(fat)」サイクリング好きの女性。彼女はInstagramで、同じように太っている女性サイクリスト、マーリー・ブロンスキーさんと意気投合し、60マイル(約96km)のバイクパッキングの旅に出ます。
オレゴン州コーヴァリスから海に向かうその”C2Sea”と呼ばれるルートには7500フィート(約2.2km)の上り区間もあり、2人はそんな大変なサイクリングをしたことはまだありませんが、一緒に海を目指す、という動画です。
ではこの動画、「自転車はダイエットにいい! 自転車に乗って痩せよう!」というありきたりな内容かというと、そういう動画では全くなかったのでした。
痩せたいから自転車、という考えは健康的ではない
この動画で、カイリーとマーリーは太っていることについて、自転車に乗ることについて、次のように語っています。
- 私達2人はお互いに連絡を取るようになり、自分の経験を話したりしているうちに、サイクリング・コミュニティには空白があることに気付きました。誰も「体型のインクルージョン」(=どんな体型の人でも受け入れるということ)や、太った人が自転車に乗るというのはどんな感じなんだろう、ということについて、ちゃんと語っていないのです。私達はこの領域で役に立てると思い、ワークショップを開催したり、自転車業界に声をかけるようになりました
- バイクパッキングやバイクキャンピングで好きなことのひとつは、どんなレベルの人でも参加しやすいということです
- 坂道では歩いたりしますが、自転車に乗る正しい唯一の方法というのはありませんし、近場で冒険するのはサイクリストならではの楽しみです
- 人は「太った(fat)」という言葉を、ネガティブな気持ちと結びつけてしまいます。「太った」とは、だらだらしている、醜い、望ましくないもの、と人は考えます
- しかし「太った」という言葉は、単に体型の描写であって、私はその言葉を自分を表現するために使いますし、その言葉を取り戻そうとしています。私は太っていますが、こうしたネガティブな連想を切り離したいのです
- 私達は誰もが、心の底では自分について疑いを持っていて、社会から「あなたのいまの見た目は醜い」というようなことを言われると本当に辛い思いをするのです
- 人はどんな体型であっても、自分の身体について話す時は感情的になったり、個人攻撃的になりますし、私と体型の関係はずっとネガティブなものでした
- 体型が私の限界を決めてしまい、尻込みさせるようになっていたのです。もっと小さい身体だったら、人は私を違うふうに扱ってくれただろうか。もっと小さい身体だったら、私を嫌いなあの人は私を好きになってくれるだろうか。もっと真面目に相手をしてもらえるだろうか。あの服が着られたら、もっと可愛く見えるのだろうか。などと考えていました
- 子供の時から私は友達よりも大きくて、友達と同じ大きさになろうという目標をいつも持っていました。でも何を食べても、何をやっても、身体はこんなふうになってしまいます。何故なんだろうと思いました
- 栄養士に相談して、血液検査を受けて、一週間に食べたものを書き出しても、母と私は「一週間で食べるりんごの数を減らしなさい」と言われるだけでした
- 大人から、太っていることについて悪い話ばかり聞かされていなければ、これだけのネガティブな考えを持つことにはならなかったと思います
- 私にとって自転車に乗るモチベーションは、かつては体重を落とすためだったのですが、それはサイクリングへの健康的なアプローチではありません
- 長いあいだ、私は「処罰(おしおき)」のようにサイクリングしていました。小さい身体になれると思い、食べ物も本当に制限するようになって、それが唯一の目標と考えるようになったので、食べなすぎて今度は目眩がするようになりました
- 私の中の力強い部分が、本当にふさわしい体型になるためには、こうやって自分に罰を与えなくてはならない、と命じていました
- 私は医者とのカウンセリングで、なぜそういうことをしていたのか、何故私は小さい身体になる必要があると考えるようになったのかを話し合いました
- 痩せていることが何故より良いことなのか、肥満は何故あらゆるネガティブな物事と結び付けられるのか
- あなたにとっての理想はこれで、この人にとっての理想はこれだ、という第三者の意見をはねのけられないのは何故なのか
- 世間はあなたに1つの物語しか話しません、だから自分を受け入れるためには、教えられてきた物語とは全く異なる物語を自分に話し聞かせることが大切なのだと思います
- それは絶え間ない戦いで、毎日戦い続けなくてはなりません
- サイクリングは私に力を与えてくれます。人には体重よりも大事なことがあります。個性であったり、価値観であったり、何を信じているか、だったり
- 今日の自分の見た目はどんなだろう、という考えに重きを置かないこと。というのも見た目によって人としての私が決まるわけではないですし、壊れた身体を修理するために、特定の体型になるために自転車に乗っているわけではありません。楽しむために出かけるのです
- 力を合わせて、次世代のために、太っていることに関する物語を変えていこうと思います。太っていることを恥や不名誉と感じなくてもいいように。そして行きたいところにはどこでも、自転車に乗っていける力があるのだと感じてほしいのです
自己処罰ではなく楽しみのためのサイクリング
この動画にはかなり考えさせられました。統計的には、確かに肥満は健康に様々な悪影響があると言われています。故に、あなたは痩せなくてはならない。太っていては絶対にいけない。そういう物語(ナラティブ)は、確かに「ごく当然の唯一の物語」として流通しています。
一方で子供の頃から何をやっても痩せなかったカイリーのような女性がいます。遺伝や環境に起因する摂食障害があったとしても、だからといって彼女が「悪い子」とは言えません。
ここでよく発生しがちな物語は「カイリーとマーリーは自転車に出会った。2人はサイクリングを重ねるにつれ、どんどん痩せて健康的になっていった。2人は肥満に打ち勝ったのだ」というものですが、そういう物語はそもそも「肥満は克服すべき悪である」という考えが前提になっているわけです。
この動画はそうなっていません。自分を変えようとしても変えられない人たち。いや、そもそも自分はなぜ変わりたいと思うのか。その「変身先」は、自分にとっての本当の理想なのか。それとも誰かが押し付けようとする他人の価値観なのか。
「答えを与える動画」ではなく「答えを考えさせられる動画」でしたが、いちばん感動した部分は「自分を罰するためのおしおき」として乗っていた自転車が、2人にとって「より楽しい経験をもたらしてくれるもの」に変わったところでした。
痩せようとすることで、自分を罰することで「他人が理想とする私」を得ようとする過程で、2人は「私にとって理想的な私はどんな私か」という問いにたどり着きます。
そしてそれは、「他人が理想とするサイクリングは、私にとっての理想的なサイクリングなのだろうか」や「私にとっての理想的なサイクリングは、どんなサイクリングなのか」という問いにも自然と重なっていくのでした。
自転車はこう乗るべき! という同調圧力や、ダイエットや整形手術によって「理想の」自分に変身する、という物語とは全く別のデコンストラクション(脱構築)動画になっていて、賛否は勿論あっていいと思いますが、こうした動画を掲載する#RideShimanoは価値ある情報を発信している素晴らしいチャンネルだ、と思いました。