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なぜサイクリングが好きなのか。その理由をサイクリストではない人達にどう伝えていますか?【だがその前に…】

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自分はなぜそんなにもサイクリングが好きなのか。サイクリストではない人達に対してそれをどう説明すればよいのでしょうか? というスレッドを海外掲示板で見かけました。以下がスレ主さんの投稿です。

いつも聞かれるんですーーなぜ5kmをクルマでドライブすることよりも、20kmを自転車で走ることのほうを選ぶのか、と。いつも説明しようとはするのですが、実際に経験してもらわないとわかってもらえないのではないかと感じています。

「そもそもなんでサイクリングがそんなに好きなの」と聞かれたとき、あなたなら何と答えますか。自由でしょうか? 健康でしょうか? 精神的な平和でしょうか? グッズや用品でしょうか? それら全て、でしょうか? 皆さんがどのように言葉に落とし込んでいるのか、興味があります。

出典 How do you explain to non-cyclists why you love it so much?

これに対しては勿論、サイクリングの魅力を伝えようとする様々なコメントが多くの方から寄せられていました。内容は、自由だから・交通渋滞と無縁だから・意識のフロー状態に気持ちよく包まれるから・自分の能力をもっと試したくなる中毒性があるから・ストレス解消になるから・自転車通勤すると良い気分で仕事をはじめられるから、等々、私も納得の行くものばかりです。

しかし、私の心にいちばん「刺さった」コメントは次のものでした(抄訳。強調部は本記事筆者)。

私は、あえて説明なんかしません。説明しても相手にとっては実はどうでもいいことで、あなたの答えなんか実際は気にかけていないのです。彼らは、サイクリングは自分には魅力がないと言っているだけなのです。答えるなら「ただ乗ってるだけです」とか「運動が好きなので」と言えば良くて、それはそれで熟慮を重ねて書き上げたエッセイと同じくらい、質問してきた相手にとっては十分なものなのです。

なぜ我々がある何かを好きなのか、という問いに対する回答は、多くの場合は実際は回答ではなくて、我々が好きな何かが持つ様々な相を狭くして伝えただけのものです。自由とか、健康とか、平和とか、用品とか、あなたが挙げたいくつかの例でさえ、理由にはならないのです。なぜならそれは次のような問いを生むからです。「なぜあなたは自由が好きなのですか?」それは今度は、次のような質問を生みます。「なぜあなたは自分の考えで決定したいのですか?」。

単純に楽しいと思うんですよ(“I just think its fun”)、と答えても、他の説明と同じくらい正確なものになりますよ。(60いいね)

私は最近、上の方と全く同じように感じたことがありました。自転車に乗らない人(知人)に、なんでそんなところ(=観光名所)に自転車で行くのか、クルマなら往復2時間で楽に行けるのに、なぜ半日かけて、峠まで超えて人力でそんなところに行くのか。何が楽しいのか、と。

最初の頃は、丁寧に頭を捻って言葉にしようと努力しました。「さあ、なんでしょうね、いろいろ理由がありますけど、楽しいし、健康にもいいし、気持ちいいし、単にそこに行く手段ではなくて、乗ること自体も目的だし…(云々)」。

しかしその知人は、会うたびに何度も同じことを聞いてくるのでした。「なんでチャリがそんな楽しいの。坂は疲れないの。しんどくないの。」と。

それで、そのうち私も気が付きました。ああ、この人は自転車やサイクリングの魅力を知りたくて質問していたのではないんだ… この人は単に「クルマに乗らないなんて、あなたは気の毒な変人だ、クルマに乗ればいいのに。疲れないし、楽だぞ。」と伝えたいだけだったんだ、と。

それ以降、その知人に自転車関係のことを聞かれると「まぁ楽しいですから」とか「(疲れない?に対して)別に」とか「そうですか。」という短い返事で終わらせるようになりました(相手は私がそのような態度を取ることで、もしかすると自分は嫌われているのではないかと思いはじめているかもしれないのですが、そう思ってくれるくらいでちょうど良い)。

その知人は、まあ心底イヤな人というわけではないのですが、質問のふりをしながら実際は自分の価値観を押し付ける・自分の優位性を誇示する(クルマのほうがすごい、とマウントを取る等)ことが習慣化している人であることがわかったのです(もっと早いうちに気付いておけばよかっただけの話かもしれないですけれども)。

その人は私の心の中で「今後は用件以外の話をしない人」というフォルダーに振り分けられ、心を割った会話をする相手ではなくなりました(そのほうがお互いにとっても良い)。

誰もがお互いを理解しあえたほうが、本当は良いに決まっています。しかし「価値観が相容れない人」とは無理に理解しあおうとはせず、距離を置くのも気持ち良く自転車生活を続ける上で必要なことではないか、と思ったのでした。

自転車に限らず、自分があまり理解してもらえない自分が好きな物事や趣味全般についても言えることかもしれませんけれども。

著者
マスター

2007年開設の自転車レビューサイトCBNのウェブマスターとして累計22,000件のユーザー投稿に目を通す。CBN Blogの企画立案・編集・校正を担当するかたわら日々のニュース・製品レビュー・エディトリアル記事を執筆。シングルスピード・グラベルロード・ブロンプトン・エアロロード・クロモリロードに乗る雑食系自転車乗り。

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