先日デンマークのテレビ局が作成したツール・ド・フランスのプロモーション動画について紹介記事を書きました(紹介記事は下のリンク)。この動画、尺がわずか1分3秒なのですが私は個人的に大変感動してしまい、もう何十回も見ています。
これは本当に良く出来ている動画だな、と思ったのと同時に「自分はこの動画の何にこれほどまでに感動してしまうのだろう?」と興味を持ったので、分析してみることにしました。
まず未視聴の方は改めて下の動画をご覧下さい。
視線の方向が持つ意味
映像表現において「右」や「左」という方向は「特定の意味」を持つことが多い、と聞いたことがあります。
どうも人間は「右」という方向に「未来」や「希望」を、「左」という方向には「過去」を連想する傾向があるようなんですね(諸説あります。また、私個人も確かにそのように感じています)。
これは様々な映画でも実際に使われている表現手法で、主人公が何か希望を感じたり、未来に向かって動こうとする時、視線は大体「右」や「右上」を向いていることが多いのです。反対に何かを思い出していたり、過去と向き合っている時は「左側」を向いていることが多いです。視線以外に、移動の方向についても同じです。
映画以外でも、街中に貼られている政治家のポスターを眺めてみるとほとんどの場合「右斜め上」を見ている表情が収められていると思います。それは「私達の明るい未来に向かって国を変えていきましょう」というメッセージになるのです。
隠されたテーマ
というわけで、この「視線」という観点からあらためて今回のツール・ド・フランスのプロモーション動画を眺めてみましょう。
最初のカットでは「メタボになってしまったお腹」が映し出されています。お腹は左側を向いています。これは登場人物の「メタボにならざるをえなかった人生」(つまり過去)を視聴者に想像させようとしているのではないか、という仮設を立ててみます。
次に「スネ毛を剃っている男性」が映し出されています。フランスの国民的歌手エディット・ピアフ(日本で言うと都はるみ的な存在)の「いいえ、私は何も後悔なんかしていません(Non, je ne regrette rien)」という歌詞を口ずさみながら、彼は「左側」を向いてスネ毛を剃っています。これは「過去を精算し、未来に向かおうとしている男」を描写している、と解釈することもできるでしょう。
次に映し出される男性の視線は右、未来の方向を向いています。余談ですが一瞬だけ映るクローゼットの中を見ると、そこに他のサイクルジャージはなく、ビジネスカジュアルなシャツしかないことがわかります。ここから「この人は他にサイクルジャージを持っていないのだ。今回あらためて買ったか、あるいはこの1着だけ昔から取っておいたのかもしれない」という「ストーリー」が連想されます。
次の「父ちゃん恥ずかしい…やめて…」という感じの娘の前を通り過ぎる時も、この男性が向かう先は右方向、つまり「未来」です。
次のこのカットはどうでしょう。すっかりメタボになってしまった男性がカバーを取り上げると、舞い上がるホコリの下に現れたのはクロモリのWレバー仕様ロードレーサー。この時、彼は左側、つまり「過去」を見つめています。彼はいま、何かを思い出しているのです。幸せだった時期も、辛かった時期も。
このシーン、私はグッと来ました。これはこの動画中盤の最重要シーンかもしれません。
しかしガレージを出る時、彼の視線は右上です。彼はこれから未来に向かって動き出そうとしているのです。見る側の気持ちも高まっていきます。
顔にボトルから水をかける下の男性は、自分と格闘しています。様々な理由があって太ってしまうのは誰にもありうることですが、その現実と格闘しています。彼は左側を向いています。彼はまだ、自由になってはいない。しかし過去の呪縛から解き放たれるため、顔に水をかけます。
このあたりで、BGMでエディット・ピアフは次のように歌っています。
Non, je ne regrette rien, car ma vie, car mes joies, aujourd’hui ça commence avec toi
いいえ、私は何も後悔していません。何故なら私の人生は、私の喜びは、今日、あなたと共にはじまるからです
この歌詞が「過去・現在・未来」をテーマにしているのは明白です。何とも絶妙な選択で、完全に計算されています。
次に集まったオジサンプロトンは何処を見ているでしょうか。「ほぼ真っすぐ前・ちょっとだけ右」ですね。これは「未来に向かいつつある現在」にフォーカスされていると言えるでしょう。この動画の感情的なピークです。
“Ça commence avec toi”(サ・コマンス・アヴェック・トワ=あなたと共にはじまる)… その「あなた」とは、「ツール・ド・フランス」であり、「この時に集まったおじさんサイクリストの仲間たち」かもしれません。ここに動画のクライマックスを持ってくる力量、鼻血が出そうです。
次のシーンはクロージング、締めですが、ここで「寝落ち」しているマイヨ・ア・ポワ(山岳賞ジャージ)を着たサイクリストの姿も最高です。これは「サイクルロードレースは長すぎて退屈だ。最後の30分見りゃ十分だろ」というペーター・サガンの問題発言を思い出させます。オジサンは体力がないのですぐに寝てしまいます(注:書いている私もオッサンです)。ロードレース中継は長いぞ、とやや自虐的に(?)かつ正直に描写しているところはさすがだなぁ、と思います。
このおじさんも右方向を向いています。こんなふうに、この動画には「過去・現在・未来」を表現するための様々な工夫が施されているように思いました。この動画のテーマは「時間の流れ」と言えるのではないでしょうか。
ストーリーのある表現は強い
このCM、「コカ・コーラを片手にテレビの前で妻や娘と一緒に熱狂しているCM」とは一線を画しています(しかし綾瀬はるかが出ていたらそれだけで全てがOKになります笑)。
わずか1分の尺ながら、この動画には「物語・ストーリー」が詰め込まれているんですね。誰も好き好んで突き出た腹を得たわけではない。歳を取れば、自転車から離れていれば、ビンディングのキャッチも怪しくなる。仕事に追われて自転車から離れているとスネ毛も伸び放題。娘はビブタイツを着た自分の姿を理解しないかもしれない。
でも俺は… 自転車が好きだったんだ! というストーリー。また乗ればいいじゃないか! 特に後悔しているわけではないけれど、自分が歩んできた人生。これから向かいたい未来。そのためにいま自分がはじめたこと。そういうストーリーがあります。
これを制作した会社の手腕は素晴らしいなぁと思います。何がすごいって、この動画は才能のある人を見つけないと、いくらお金を積んでも得られない結果になっているからです。自転車に理解があって、映像表現も知り尽くした人が参加していないとこうはなりません。登場する自転車もクロモリのコルナゴがあったり、SRAM eTapを使っている人もいる。古いもの、新しいもの両方が織り交ぜられています。
テレビCMということもあってこの短い尺になっているとは思いますが、この短時間でこれだけ「ストーリー」を想像させる映像作品を作った方々は本当に素晴らしいと思いました。