「サイクル野郎」を読む 「自転車日本一周」の裏に隠されたテーマとは

「サイクル野郎」という自転車マンガを読んでいます。1971年から1979年まで「少年キング」に連載された作品で、全部で37巻もあるのですがKindle Unlimitedで全巻無料読書対象になっていたのでゴールデンウィーク中に読みはじめました。

実はこのマンガの存在はずっと知ってはいたものの、なかなか読む気になれずにいたのでした。何故なら絵柄があまりに前時代的すぎて、それだけで楽しめるはずがない、と思っていたのです。

「サイクル野郎」を読む 「自転車日本一周」の裏に隠されたテーマとは

そして予想通り読みはじめてすぐに「これはダメかもしれない」と思いました。第1巻の冒頭では「巨人の星」かよ。と溜め息が出ました。

だがしかし。もう少しだけ読み進めてみたところ、なぜか急に面白くなり、やめられなくなりました。

自転車マンガにおける「貴族」あるいは「選ばれし者」

読みはじめてすぐにガッカリしたことがあります。それは主人公の丸井輪太郎が「自転車店の息子」という「選ばれし者設定」だったからです。これは、主人公が「結果的にはその高貴な生まれによってどんな困難でも自動的に克服する、そして成功を勝ち取る」という一種の「貴族の物語」です。

この「主人公が貴族または選ばれし者」という設定は古今東西の物語に存在しますが、自転車マンガでも当然よく使われます。

野々村輝(「シャカリキ!」)しかり。小野田坂道(「弱虫ペダル」)しかり。この2人は「坂道を日常的に登っていたことで気がつくと豪脚を得ていた」という意味で「選ばれし者」です。

その後に苦労と努力は重ねていくものの、最終的には「もともとすごかった人が最終的にすごい人であることが判明する」という物語上の類型にあてはまります。凡人のサクセスストーリーではなく、英雄譚です。

最近の自転車マンガでも同じで、たとえば「はやめブラストギア」も主人公・円城寺はやめはさらにわかりやすく、父親が自転車選手だったという設定です(ただし「はやめブラストギア」は特殊な作品で、こういう設定を「一周回ってわざと」やっているかのような「メタ感」があり、そのせいか他の自転車マンガ作品群と一線を画している印象を受けます)。

最高におもしろい自転車マンガと出会いました。その名も「はやめブラストギア」。妙な偶然からこのマンガにたどりついたのですが、その経緯はこちらで...

これがあてはまったら大体その人は貴族・選ばれし者です。

  • たまたま家の前に長い激坂があってそこを日常的に自転車で登っていた
  • 行方不明になった親が実は有名な自転車選手だった(祖父や親戚が〜も同様)
  • 名前に自転車関連の名前が入っている(輪太郎・坂道等)
  • 由来不明の謎の自転車やサイクルパーツを受け継いでいる
  • なぜか自分の旅を支えてくれる「お付きの者」が2人ほど現れる
  • 将来の伴侶となることが予想されるパートナー(お姫さま)がそばにいる

ではこういう「貴族・選ばれし者」が主人公であると、なにかまずいかというと、そういうわけでもありません。

こういう設定はある意味「鉄板」であって、安心して物語を読み進めるために必要な舞台装置だったりします。もし「サイクル野郎」の主人公・丸井輪太郎が寿司屋の息子でブサイクだったりすると、物語を進めるためにかなり苦労するはずです。

すでに「いろいろ持ってるやつ」として自転車屋の息子にしておいたほうが、作者にとって都合が良いし、読者にとっても話が早い。感情移入もしやすい。

ただしこの設定に「工夫がない」のも事実。選ばれし者である主人公・輪太郎が、イヌ・サル・キジを従えて鬼退治に向かう「桃太郎」の物語同様、矢野陣太郎(近所の寿司屋の息子)や日高剣吾(ナマハゲ)を従え(あるいは共に)、「日本一周」という目的を果たす旅に出ている。ここに「新しさ」は皆無です。

一見すると家が裕福な寿司屋で実家から頻繁に送金もしてもらえる矢野陣太郎のほうが実は貴族的な立ち位置ではないかと思えたりするのですが、実際はやはり貧しくて苦労しながらも「自転車店の息子」であるが故にその自転車修理技術で仲間を助ける輪太郎のほうが明らかに「選ばれし者」として描かれています。

繰り返しますが、こういう類型的な(パターン化した)物語の基礎、仕組みが悪いと言っているのではありません。こういう安定的な土台がない作品は必然的に実験的な、あるいは前衛的なものになってしまい、「少年キング」で連載できるようなものではなくなってしまうからです。

でも不思議な感じがしました。自転車漫画、50年前にすでにできあがっていたんだなぁ、と。

さまざまな対立の構図

「サイクル野郎」を読む 「自転車日本一周」の裏に隠されたテーマとは

物語、ストーリーが発生するためには、常に何らかの対立が必要です。みんなが善良な平和な村では、やがて語り継がれるような伝説や物語は発生しません。物語が生まれるためには、たとえば「善と悪」や「聖と俗」、「小さい村と外の世界」のような対立の構図が必要になります。

「サイクル野郎」の冒頭では、ちょうど「巨人の星」における星飛雄馬と花形満の2人に代表されるような「貧しい庶民」と「富めるエリート」という感じの対立構図があり、それがあまりにもステレオタイプに思えたので読むのをやめようと思いました。ただ、そのエピソードは幸いすぐに終わりました。

読み進めると「サイクル野郎」にはその後、それ以外にも実に様々な「対立の構図」が次々と、しかもかなり巧妙に投入されてきます。それがなんとも面白いのです。例えば:

  • 自転車 vs. モーターサイクル(丸井自転車商会と田沼バイク店。非常に親しいがお互いに素直になれない隣人として描かれる)
  • 自転車 vs. クルマの対立(上のモーターサイクルとの対立の延長でもある)
  • 苦労して自分の力だけで日本一周することの美徳 vs. 観光客としてのお気楽な旅行
  • 重い装備でゆっくり風景を楽しむツーリング vs. 競技志向の体育会系サイクリスト
  • 男であること vs. 女であること
  • 東京 vs. 地方都市
  • 本物であること vs. 偽物であること

等々、読んだ方はどれがどのエピソードのことかすぐにわかると思いますが、実に様々な「対立構造」が随所に導入され、読者を飽きさせずにグイグイと引っ張ってくれます。

しかし、なぜ「サイクル野郎」はおもしろいのか。こういう対立構造自体は、ストーリーテリングの手法として特に目新しいものではないはずです。

そういえば名作「シャカリキ!」で最後に導入された対立構造は「日本 vs. ヨーロッパ」でした(その結果テルは欧州に旅立ち、そこで物語はとりあえず終わりました)。

「対立」(または対比)は「おもしろい物語の必要条件」ではあっても、「名作の十分条件」ではないのです。「サイクル野郎」にはもうちょっと別の何かがあるのです。

1971年の日本の交通社会 そしてサイクリスト像

「サイクル野郎」を読んでいて私が衝撃を受けた理由の1つは、1971年の日本、まずそこにおける交通社会の姿がこの記事を書いている2019年の日本とほとんど、というかまったく変わっていないところでした。

「サイクル野郎」の初出から48年、およそ半世紀と言ってもいい年月が流れています。

自転車が交通弱者であり、クルマ社会から迫害されながらも、環境と健康に良い「バイコロジー」というコンセプトで人気を博しつつある…

1971年に、すでにそういう状況だったらしいのです。そして、その状況は48年が経過した現在、変わったか。自転車を取り巻く社会状況は、良くなったかというと、1mmも良くなっていない。何も変わっていない。

と、まずそのことに驚いたのでした。

うおお、日本の自転車事情、50年間何も変わってねぇ!!

過去50年間に大きく変わらなかったのだから、今後50年間で状況が劇的に好転することもないでしょう。そう考えると、残念感と安堵感が同時に押し寄せてきて不思議な気持ちになります。

もうひとつ驚いたことがあります。

それは「サイクル野郎」には、現代でもよく見かけるタイプの「イヤなやつ」が頻繁に登場するところです。自転車の楽しみ方の違いや、車種の違いでマウントを取ろうとするつまらない人間が頻繁に登場します。すると

なんだよ、自転車界には50年前からこんなイヤな連中がいたのか。何も変わってねぇ!!

と奇妙な感動を覚えます。そして安心します。声だけデカいチンピラ小者が跳梁跋扈するのは昨日今日はじまったことではないのだ。半世紀も前からの伝統なのだ、と。だから50年後もそういう人間はいなくなっていないだろう、と。

変わったことと言えば、現在では「水を飲むと疲れる」などと誰も言わないし、体調が悪い時にうさぎ跳びはしないし、重い懐中電灯のかわりに軽量なLEDライトが使えるようになった、ということくらいでしょうか。リアは5段から12段が標準になりつつあります。でも本質的なところは自転車もあまり変わっていません。

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「共同体」という裏テーマ

「サイクル野郎」を読む 「自転車日本一周」の裏に隠されたテーマとは

でも上で書いたような「50年間何も変わってない」というのは、「サイクル野郎」という作品に内在するおもしろさではありません。あくまで50年近く経ったいま読むと面白い、というだけの話です。

「サイクル野郎」の最大の面白さは別のところにあります。それは「ある隠されたテーマがあるから」ではないかと思い至りました。

このマンガ、ぱっと見は「自転車日本一周」がテーマとなっています。

高校受験に失敗した少年が自転車で日本一周をすることで、そういう「武者修行」で自分に自信を持とうとする。そういうストーリーがテーマになっているように見える。

よくある「自分探し・宝探し」の物語です。

たしかにそれは「表」のテーマかもしれません。

しかしこのマンガには「裏」のテーマがあります。

それは何か。一言で言うと「共同体」です。「コミュニティ」です。

異なる価値観を持つサイクリストのグループAとグループBがどのように融和しうるか。

性格も意見も異なる3人の少年はどのように一緒に旅を続けられるか。

民主主義とは何か。リーダーシップとは何か。個性の尊重と全体最適化。

東京はなぜ人間関係がギスギスしているのか。でも田舎の人たちはいつも親切と言えるのか。都会の人間は田舎で生きていけるのだろうか。

そういった「共同体」に関する問いが非常に多い。そして、それが結構丁寧に描かれています。

それがこのマンガの最大の長所、おもしろさに繋がっていると思います。

輪太郎が1人で生死の境をさまよう時も、1人で生きるとはどういうことか、みんなと助け合って生きるとはどういうことか、という問いが出てきます。

頻繁に登場する「ユースホステル」とそれにまつわる文化も然り。

ユースホステルでの「ミーティング」と呼ばれるアクティビティは、「私達が見たこともない遠い土地で苦労してきた勇者の体験談」に耳を傾ける原始共同体の集会を思わせるようなものとして描かれています。

「サイクル野郎」が面白いマンガなのは、そこに定番の「選ばれし者であった主人公がやっぱり勝利しました!」設定があったり、物語を推し進めるために便利な「あるある対立」がふんだんに用意されているから、だけではなく、この「コミュニティとは何か」というかなり真面目な裏テーマが仕込まれているからではないか、と私は思いました。

絵はちょっと古くさいですが、おもしろいです。読み放題で読めるうちに全巻読破をオススメします。

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