海外掲示版Redditに「Xbiking」という一風変わったサブレディット(※Reddit内コミュニティのこと)が存在します。「こらっ、これ作ったの誰だ! 先生怒らないから出てきなさい!!」的な寄せ集めパーツで作った自転車や、ジャンルがよくわからない改造自転車の話題が多く見られます。
この「Xbiking」というジャンルは定義がなかなか難しいのですが、より自由に自転車を楽しみたい方にとってはとてもおもしろい世界だと思うので、考察しつつご紹介します(少し小難しい内容のエッセイ的な記事なので、ご興味のない方はここで離脱して下さい)。
路面ではなく精神性によって定義される
4年前、xbikingサブレディットに次のような質問が投稿されていました。以下、抄訳です(直訳ではなく筆者の読解です)。
ひと月ここを見ているのですが、ここで共通のテーマは一体何なのか、見当が付かずにいます。グラベルバイクでしょうか? バイクパッキングでしょうか? MTBのように組まれたロードバイクでしょうか? ドロップハンドルを付けたMTBでしょうか? モンスタークロス(※シクロクロスとMTBのかけあわせ)でしょうか? クランカー(※MTBの始祖)のことでしょうか?
これに対し、xbikingサブレディットを作った、という方が、次のように回答しています。
xbikingという用語は、私が2ヶ月前にこのサブレディットを作った時に考え出したラベルであり、私が他所で見かけた、はっきりした形のないクールな自転車コンテンツやコミュニティの背後にある精神性(スピリット)を名付けようとしたものです。(…)しかし意味はこのコミュニティが自然に決めていって良いと思っています。
グラベルサイクリングやバイクパッキング等のコミュニティとの類似点はありますが、特定の路面や、特定のライドスタイル、あるいは自転車で行う特定のアクティビティによって定義されるのでははなく、このコミュニティはコンテンツとユーザーを一体化させる冒険的精神(アドベンチャー・メンタリティ)によって定義されることを意図しています。(…)
私は「x」が「クロス」を示唆するのが気に入りました。必ずしもシクロクロスという意味ではないですが(その方面も歓迎ですが)、クロスジャンルというか、他の「純粋な」サイクリングのカテゴリーの中間の意味にも、この「x」に好きなものを入れなさい、という意味にもなり、異なる様々な自転車や路面、追求の対象の「でたらめな集い」を包括できるのが気に入りました。
また、xbikingコミュニティの説明文には次のように書かれています。
このコミュニティは超軽量ロードレーシングとテクニカル・シングルトラックの間に存在する広大な世界のために捧げられています。オールロード、クロスオーバー、グラベル、モンスタークロス、ロードプラス、サプルタイヤ、スチールフレーム、ヴィンテージバイク、ハイブリッド、通勤車、バイクツーリング、バイクパッキング、ファットバイキング、シングルスピード、フィクシー、がらくたパーツで作ったフランケンバイク等々は、ここではどれも格好のテーマです。それらを結びつける要素は、精神性(メンタリティ)です! 質問して、考えを共有して、写真を投稿して、他のライダーと繋がりましょう
Xbikingとは、そもそもが定義のはっきりした純粋なジャンル(例・ロードバイク、MTB、グラベルバイク等)へのカウンター的に存在している概念、いわばジャンルなきジャンルなので、イメージしにくいところはあると思います。
しかし、Xbikingコミュニティで紹介されているような自転車を眺めていると、ある確かな共通項が見えてきます。
ブリコラージュ文化との関連
その共通項とは、上で書かれている「精神性(スピリットまたはメンタリティ)」なのですが、それをもう少し具体的に掘り下げるなら、「ボトムアップの試行錯誤型ブリコラージュ」と呼ぶことはできないでしょうか。
「ボトムアップ」の対義語は「トップダウン」です。最初から明確な設計図、科学的知見に基づいてエリートが開発する自転車ではなく、そのへんに転がっているパーツを庶民が適当に組み合わせてどんな結果になるか試してみる自転車。メーカー非推奨・反=取説上等な、野蛮な世界。
「ブリコラージュ」とは何か。Wikipediaの日本語ページから抜粋します。
ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。「器用仕事」とも訳される。(…)
ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「設計」とは対照的なもので、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、最終的に新しい物を作ることである。(…)
フランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースは、著書 『野生の思考』(1962年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降のエンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。(…)
生物学では、フランソワ・ジャコブが、生物の構造の多様さを表現するのに「ブリコラージュ」という言葉を用いている。進化はあらかじめ作られた設計図に基づきゼロから行われるエンジニアリングではなく、既にある系統に対して用途の変更や追加を行うブリコラージュであると述べ、構造の多様さも問題解決を求めて多様なブリコラージュが起こった結果であると考えている。
これはもう完全に「Xbiking」の説明になっているように私は思います。寄せ集めのパーツで、試行錯誤しながらボトムアップで生み出していく「野生の思考」型自転車。
いまこの「Xbiking」的な精神性の対極にあるのは、風洞実験やコンピューターによる強度計算から生み出された、ドロップド・シートステイを持つインターナルコクピットのモダン・ロードレーシング・バイクでしょう。これは明確な着地点のためにトップダウンで設計された自転車です(※現場からのフィードバックはもちろん活かされているとしても)。
そういう自転車がつまらない、という意味ではありません。しかし、上はTeam Cofidisが使っているLookの新型ロードバイクなのですが、やはりこうなってしまったか、という感じではあり、大ブランドのピュア・ロードレーシングバイクは昨今どれもこういう見た目なので、面白み自体はあまりないです(すごく速いかもしれないけど!)。イノベーションの余地はなさそうです。
これらの自転車は「時速60km/hで10ワット削減!前モデル比で20%の剛性アップ実現!」といったマーケティング上の文言で「進歩した製品」として売り出されていますが、もはや誰もそういうメッセージを信用しなくなっています。ここにあるのは「自転車は常に過去を乗り越えてどこまでも進化し続ける」という、進歩的歴史観とも言えるでしょうか。
ブリコラージュはそういう歴史観とは対極にあります。かつて西欧の知識人は、こういう「日曜大工」的な発想を「野蛮で遅れたもの」と見なしてバカにしていた。しかし上のWikipediaにも登場するクロード・レヴィ=ストロースという文化人類学者は「いやそんなことはない、この野生の思考にこそ未来があるのだ」と反論しました。
そのへんに転がっている適当なパーツを適当に組み合わせて作り上げた、コンセプトがよくわからない、正体不明な雑多な自転車。「ガラクタ自転車」と蔑まれ、バカにする人も多いと思うのですが(さらに「メーカー様が認めない使い方はするな!」という批判を行う人も多い)、実はかなり面白い自転車世界ではないかと思います。
そもそも、モダンMTB自体がまさにこういうブリコラージュ的な発想から生まれたものでした。
▼ 映画「シン・ウルトラマン」でも主人公・神永新二が図書館でページをめくっていたレヴィ=ストロースの「野生の思考」。それを解説した中沢新一氏による副読本で、わかりやすい内容で個人的におすすめです。寒い日の読書にどうぞ(1/22までAmazonにて「本のまとめ買いキャンペーン」実施中です)。
ウルトラマンがモダン・ロードバイクだとすると、彼等にとって人類はクランカーのような自転車に見えるのではないでしょうか。そして、リピアはそれを守りたい。そこにはウルトラマンが失った何かがあるから… かもしれない(何の話かわからなくなってきたのでこのへんにしておきます。ここまでお読みいただいてありがとうございました)。
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