ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアといったグランツールを走るトップ・プロロードレーサーたち。彼らが使用するバイクは市場でも入手可能な量産品であり、レース活動を行わないロードバイク愛好家にも「最高のバイク」として提供されています。
しかし米Bicycling誌は、ここには構造的な問題があり、Specialized Aethosのようなバイクはこの問題に向き合っている期待の1台だ、という主旨の考察を行っています。
出典 We Need Fewer Bikes for Pro Racers, and More Bikes Like the Specialized Aethos
トッププロ用の機材はあなたや私のためのものではない
- Specialized Aethos Comp RivalはBicycling誌のバイク・オブ・ザ・イヤーを獲得した。私が今年乗ったバイクの中でこれほど重要だったモデルはない
- 私はテクノロジーが好きだが、モダン・ロードバイクに発生してきたものの大部分はトッププロの利益となるためのものだ
- インテグレーションは重量とワットを削減するが、リペアやパーツ交換をより困難にするし、エアロ性能は効率を高めるが重量増にもなり、風の中でのハンドリングが微妙になったり、生き生きとしたライド感を削ぐこともある
- さらにUCIによる機材レギュレーションは万人を同じ答えに導くもので、その結果多くのバイクが同じような外観とライド感になっている
- これらのバイクは驚くほどクールだが、見られる「イノベーション」の多くはあなたや私のようなライダーに資するところがほとんどない
- 問題は、バイクブランドが開発費用を賄うために、主にトッププロ向けにデザインされたバイクをたくさん売らなくてはならないということだ
- またUCI規則では、プロが使用する機材は一般人が買えるものでなくてはならないとなっている
- その結果、プロロードレーシングの極端に限定的な目的のためにデザインされたバイクの多くが、一般大衆向けに、毎日のライドのためのベストのバイク、として押し付けられる。だが実際はそうではないのだ
- Specialized Aethosは、メーカーがロードレースの上位カテゴリーではなく毎日のライドのためにロードバイクを作るとこうなる、という一例だ。これでもまだ長く・低いハイパフォーマンスバイクであるのは認めるが、最高のロードバイクはプロレーサー向けのモデルだというビッグブランドの主張からは一歩距離を置いている。小さいが重要な一歩だ
- Aethosはフロントキャリパーマウントを除いて標準規格を採用しており、インテグレーションもなければ微々たるエアロ性能の追求もしていない。ビッグブランドからのバイクとしては比較的シンプルで、ライドも操作感も良い
- 私がAethosについて話し続ける理由は、スペシャライズドや他のブランドがこの方向性を推し進めてほしいからだ
- Specialized TarmacやTrek Emondaといったバイクは、ニッチなものとなってほしい。レースバイクが消えて欲しくはないが、本来の目的に正しく位置付けられ販売されてほしいと思う。つまりトップアスリートによる競技のために開発された機材として
一般のアマチュアもトッププロと同じ機材を購入して乗れる、というのは自転車の世界での魅力の1つ。しかしエアロ性能向上に邁進し、ユーザビリティや組み上げ・メンテナンスの面で多くのバイクが一般人向けではなくなってきていることについては、CyclingTipsも「ロードバイクのインテグレーテッド・ハンドルは一般人向けではない」という記事で考察していました。
いずれも「トッププロ選手が確実に勝率を上げるためのマシンの最適化は、私達一般ライダーの利益になるものではない」という、業界に一石を投げかける考察記事ですが、Bicycling誌が推しているSpecialized Aethosはこうしたトレンドを変える1台になるのでしょうか(Aethosのスペックや開発経緯については下の記事で詳しく紹介しているので、こちらも是非お読み下さい)。
値段のことも考えてくれ! という読者の声
しかしBicycling誌のこの記事については、読者がInstagramで次のようなコメントも寄せています。
- Aethosはいくつかのプロロードレーサー用モデルより高額だ。これは悪い冗談だよ
- ちがーーーーう、違うよ。手に届く価格が大事なんだ。つまりベターなアルミバイクが必要なんだ
- あなたが望んでいるバイクは他にも多くあると思うが、この記事では超高価なモデルを名指ししているのは何故なんだ?
Aethosは確かに高価で、同誌の記事もスポンサード絡みのバイアスがかかっている可能性は否定できませんが、それでも「トップ・プロロードレーサー向けではないバイクがもっと必要だ」という記事のエッセンス自体は、考えてみる価値のあることではないかという気はします。