Instagramのおもしろ自転車ミームアカウントFeedzonenewsに「哲学者がグラベルバイクの流行について語ったらこうなる」という感じのネタが投稿されています。数ヶ月前に一度読んだことがあったのですが、UCIが2022年にグラベルレースと世界選手権を開催するというニュースを受けて、作成者が再投稿していました。
特殊から普遍へ、そして…
以下、本文の抄訳です。このネタは「スロヴェニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクによる新聞コラム」という体裁を取っていますが、勿論本人による文章ではありません(ただ元ネタはどこかに存在するのかもしれません)。
グラベルについて思う
「オフロード」ロードサイクリングの隆盛は従来的なインクルーシビティの観念に疑問を投げかける
グラベルバイクは今日、大きいイデオロギー上の闘争の中心にある。古き良き脱構築主義的作法で、私はグラベルと「オールロード」サイクリングーーとりわけ北米におけるーーの急速な導入に隠された意味に疑問を呈してみたい。
グラベルの最も忠実な支持者はーー間違いなく西洋的民主主義に魅了されているがーー、これらの自転車それ自体が、マウンテンバイカーをロードサイクリストやその他のサイクリストと区別するような、サイクリング上のジャンル的分断からの旅立ちである、と我々に信じ込ませようとするだろう。
しかし、実は反対のことが起こっているとしたらどうだろう? もしグラベルにおけるイデオロギーの不在が、単にイデオロギー自体を見えにくくしているとしたら?
今日の自由民主的な覇権(ヘゲモニー)は我々に、全員に適した1つの自転車を創造することを要求し、そのインクルーシブな装置を通じて我々は資本主義的序列を強化することになるのである。マルクスは「ヘーゲル法哲学批判序説」において既に、ヘゲモニーの論理のようなものを展開している。すなわち「普遍的階級」の出現、それ自身を普遍的なものであると称し、世界的な熱狂を生み出し、そのような社会を意味する階級。
それに続くのは、マルクスが皮肉を込めて描写したような幻滅である。次の日には、普遍と特殊のあいだの溝が可視化され、普遍的自由の実際としての、資本主義的な俗悪な利益等々が目に見えるようになるのだ。
あらゆる「うわべ」が消失し、グラベルが隠し持つイデオロギーが正体を現すのは、この「次の日」においてである、と私は結論付ける。万人と全てのライディングスタイルに適した1台の自転車を生み出そうとする際に、市場の隠れた手は、1人の特殊な人間に適した1台を生み出すのだ。世界中の自転車産業はいま、旧来からの野蛮さを新しい顔で隠しているのである。
乱暴なまとめ
一体これは何の話なんだ、という感じの難解な内容ですが、言わんとしていることは「グラベルはジャンルの分断や差別から自由だ!みんな仲間!」という「世界的な熱狂」が、「市場の隠れた手」によっていつのまにか「特殊なもの」に変貌しつつあり、むかしから存在した「MTB vs. ロードバイク」のような分断構造から自由ではなくなってきている、という指摘でしょうか。
特にUCIがグラベルに関与してきたことで「UCIがレースでの使用を認可するグラベルバイク」をはじめとする様々な規約が生まれてくるでしょうから、「誰もが自由に好き勝手やるのがグラベル、グラベルの定義も人それぞれ。名称だって何でも良い」という信条を持つ人にとっては窮屈な世の中が訪れつつある、皮肉な事態ですね、という冗談投稿だと思います。
自転車を楽しむにあたっては全くどうでも良い内容ではあるのですが、ここ数年のグラベルバイクの流行と一大カテゴリー化の過程を冗談に昇華した力作投稿、と思いました(しかし読む人いるのだろうかと心配)。
この投稿には面白いコメントもいくつか見られるので少し紹介します。
- 2022年Specialized Hegemony™️グラベルバイク(Red eTap AXS)が登場、2023年発売開始
- 恐ろしいことだがすんなり理解できた
- 長すぎて読まなかった。俺に1台送ってくれれば何でもグラベルバイクだ
- スラヴォイ・ジジェクはログリッチの叔父だよ(※多分冗談)
- UCIがやってくるまでは何でも楽しい遊びだ
- この男は自転車に乗ることを難しく考えすぎだ。乗れるものは何でもいつでも乗れ
▼ 関連記事