サイクリングとは直接関係がない本を紹介する記事です。その前に、遠く離れた輪行先・旅行先の深い山のなかを自転車で走っている時(あるいは登山している時)、このあたりに住んだら私の人生はどう変わるだろうか、実際ここに住むことはできるだろうか、と夢想することはないでしょうか。私はよくあります。
遠征ライド中に移住を夢想する
ここから先は、峠を超えるまでコンビニはないという。スーパーも半径10km内にひとつしかないようだ。肉や魚といった生鮮食料品は、週に一度くらいの買い出しになるのだろうか。面倒な人間関係は、あるのだろうか。ここもまた、地元の顔役を頂点とするマイクロ権力ピラミッドに支えられた、日本ならではの相互監視社会なのだろうか。私のようなよそ者はやっていけるだろうか…
こんな山奥ならどうだろう。家はいくつかある。もう誰も住んでいないようだ。あの壊れた家は、いくらで買えるだろう。電線は来ている。大きい川の近くだから、水もなんとか引けるだろうか。トイレはどうしようか。下水道が来ているわけはないから、汲み取りになるのか。それとも穴を掘ってやるのか。日当たりは良いから、野菜はよく育つかもしれない…
ここに住めば、玄関を出たらすぐオフロードライドに出られるし、山歩きもできる。クルマの騒音もない。空気がきれいだから喘息やアレルギーも良くなるに違いない。よく考えると、東京都心に住み続ける意味がほとんどない…
等々、走りながら(または歩きながら)具体的なことをよく考えます。時々、自分はライドや登山を通じて残りの人生の居住地を探しているのではないか、と思えることもあります(それがまた楽しかったりします)。
「お金に頼らず生きたい君へ」を読む
さて、昨年暮れに出たばかりのサバイバル登山家・服部文祥氏の最新刊「お金に頼らず生きたい君へ: 廃村「自力」生活記」は、そんな私にとってタイムリーな一冊でした。
河出書房新社の「14歳の世渡り術」というシリーズに組み込まれている本らしく、確かに「14歳の読者を意識したノウハウ・ハウツー本」という体ではあるものの、現代の14歳がこの本を面白く読めるのかどうか、私にはわかりません(少し疑問ではあります)。しかし14歳ではなく41歳以上の人なら確実に楽しめる本ではないかと思います。
この「14歳の〜」という方向性(恐らくマーケティング上の都合でこういう体になっただけのような気がする)を除くと、中身はいつもの面白い服部文祥ワールドで、関東のどこかと思われる廃村で見つけた古民家を低予算で買い、修復し、畑を作り、発電して、しまいにインターネット回線まで引く過程(そしてそもそもなぜそんなことをしているのか)が綴られています。
実際にどのような作業、苦労が発生するのか。お金はいくらかかるのか。具体的な話がたくさんあります。私のように田舎暮らしを「具体的に検討している」方には得るところの多い本…かもしれません。しかしこの本を「廃村の古民家再生・超低予算のミニマリスト生活の役に立つハウツー本」的なものとして読むと、裏切られるでしょう。
服部文祥氏の著作はどれもそうだと思いますが、確かにある意味でノウハウであり、ハウツー本でもあります。しかし読んでいて次第に気付くのは、それらは著者本人(服部氏)のみに適したノウハウ・ハウツーであり、一般人がそのまま真似して役に立つようなものでは全くないということです。ネットによくある「○○するための10の方法」みたいな内容ではありません。
「余ったパーツ・自作部品を活用したガラクタ自転車の作り方」というハウツー本が、意味がないので存在しないのと同じです。この本で書かれているのも「ああしたらこうなる」という便利なアルゴリズムではなく、試行錯誤を基礎とするブリコラージュ的な世界観だと思います。
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だからこそ面白い本でした。この本から学べるのは、どうやって水道を引くか、それにはいくらお金がかかるのか、といった個別のことではないでしょう。ただそれらもきっちり書かれているので(それはそれですごく面白い)、読んだ人はこれがそういうハウツー本ではないかと騙されてしまうかもしれません。
便利ハウツー本のふりをした思想家・冒険家のエッセイ、として読むと楽しめるのではないでしょうか。自然を求めて遠くまで自転車を乗りにいく方々にはちょっとおすすめしておきたい本。必ずしも廃村の古民家で生きることに興味がない人でも、自分の生き方に必要なシステムを構築するとはどういうことか、を考えるヒントになるような気がします。寒い日の読書に是非どうぞ。
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