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よみもの

自転車に乗っていて悲しい気分になるのは難しい【サイクリングは鬱病に効く説】

鬱に悩んでいると思われる方が、自転車に乗っている時はネガティブなことを考えないので、良い薬になっているようです、と海外掲示板で投稿されていました。

これまでの人生で自分自身を幸せにしようと頑張ってきたのですが、いまだにうまくいきません。なぜサイクリングをはじめたのかは覚えていませんが、自転車に乗っているあいだはあらゆるネガティブ思考が消えていくのがわかります。またライドが終わるたびに、もっと乗りたくなって次のライドが楽しみになります。これが幸せなのでしょうか? よくわかりません。私の主治医は、続けるように言いましたし、私はもっとよくなりたいと思っています。

出典 Bicycle seems like a good prescription for my depression(自転車は私の鬱病の良い処方薬のようです)

寄せられたコメントからいくつか抄訳でご紹介します。

  • 乗るのをやめないように(102いいね)
  • 運動はどんなものでも全般的に鬱病にはいいと思います、あなたは自分が好きなスポーツを見つけられてすごくよかったと思います。私は鬱ではありませんが、自転車に乗っている時がいちばん幸せを感じることを知っています。特に暖かい夜、道にほとんど誰もいないような時。楽しんでください!(54いいね)
  • 多くの医者が鬱病と戦うための初手として、運動や食事の変更、より多くの睡眠を「処方」するのには理由があるのです。万能薬とは言わないまでも、鬱病であっても、そうでなくても、間違いなく多くの人の力になります(20いいね)
  • 鬱病の最高の治療法のひとつとして、定期的な運動を支持する多くの研究結果があります。運動することで幸福物質が脳内に放出されます。定期的であればどんな運動でも良いのですが、サイクリングなら関節にも優しいですし、ちょっとした「俺は速いぞ」という気持ち良さを得られるので、脳を幸せにするための特に良い運動です(34いいね)
  • 仲間のライダーに対して、自分が鬱であることについてオープンになりましょう。私は2度ほどヤバかった時、自分が鬱病であることについて100%オープンになることを決意しました。誰かが苦しんでいる時、話し相手になれるかもしれないと思ったからです。(…)多くの人が鬱で悩んでいることを知りましたし、私自身も元気付けられました。私は今では一人でこの問題に向き合っているのではなく、お互いを支え合うチームの一人として向き合っています(23いいね)
  • 私達の身体と心は、動くように、屋外にさらされるように設計されています。現代ではあまりに多くのものが便利になって、人間はそうしたものから遠ざけられているため、鬱病がごくありふれたものになったのは驚くことではありません。私自身もこれまでの人生の大部分で鬱病や不安に苦しんできましたが、運動すること、外にいることの喜びを再発見させてくれたことを神に感謝しています。サイクリングは私の人生を救いました。ライドオン、そして楽しんでください!(14いいね)
  • 自転車に乗っている時に、悲しい気分でいるのは難しい。気持ちがいちばん落ち込んでいる時、自転車が最高の伴侶です(10いいね)

自転車に乗ろうとさえ思えないような深刻な鬱状態については、また別の話になるのですが、スレ主さんの「これまでの人生で自分自身を幸せにしようと頑張ってきたのですが、いまだにうまくいきません。(I have been trying hard to make myself happy all my life, but I still don’t manage to.)」という書き出しを読んで、私は最近「発見」したことを思い出しました。

それは、スレ主さんの言いたいこと、スレ主さんの気持ちや悩みとは全く関係ない次元のことかもしれないのですが、一言でいうと「100%健康であるような状態、病気が一切ない状態というのは、どこにもないから、それを求めて頑張っても仕方がない。Try hardしてもたぶん無駄で、manageできるようなものでもないのだろう」ということです。

私は数年前からガーデニングの真似事のようなことをやっていて、草本などの植物をいくつか育てています。

そこで気付いたことは、ごく当たり前のことではあるのですが、どんな植物も必ず病気になるということです。全体的には勢いがあって元気良く見えても、葉の一部がウイルスや菌にやられて傷んでいたり、枯れていたりします。全体的になんとなく元気がない時期もあります。

自分の育て方が良くないのだろうか、といろいろ調べて、対策はします。しかし、そこでまた気付いたことがありました。

どんなに手の行き届いた植物園を歩いていても、いやそれどころか、山の中、リアル大自然の中に入っていっても、どんな植物も「100%健康で、傷ひとつなく、ノーダメージで、図鑑に載っているような、美しい商品サンプルのような、インスタ映えするような、ピカピカのもの」は、まずない、ということに気付いたのです。

大体、どこか調子が悪いところがあるのです。もちろん調子が悪いところが増えすぎると、病気になって弱って枯れてしまうので、そこは対応が必要だけれども、必ずどこかは病気だったり、傷んでいたり、調子が悪いところがあるのは、当たり前なんだな、とあらためて気付かされたのでした。

すると、自宅での植物との付き合い方も、少し変わってきました。100%健康な状態を達成するのではなく、ところどころ調子が悪いところがあってもいいから、全体として良いバランスの生命感を保っていればいい、と考えるようになり、そのような方針にすると、いろいろな植物が長生きするようになりました。そしてこの考え方を、私自身のメンタルとフィジカル両面の健康に応用するようにもなりました。

勿論、スレ主さんの悩みはこういう次元の話ではないかもしれません。ただ、なんとなく気持ちが落ち込んでいるという場合、「そもそも100%健康な状態というものは存在しないのだ」という仮説を持っておくだけで、だいぶ楽になったりしないだろうか、と思ったのでした。

あとサドルの上では悲しい気持ちになれない、というのは納得コメントでした。サイクリングしながら、おいしいものを食べながら悲しい気分になるのは確かに難しいことです。

サイクリング中の幸福度は、100点満点で言うとどう考えても70点以下にはならないように、私自身は感じます。70点もあれば十分じゃないでしょうか(たまに100点になることも、勿論ありますね)。普段の気持ちが50点を下回りそうなら、何も考えずにまずライドに出かけてみる。そういうのはどうでしょうか。

著者
マスター

2007年開設の自転車レビューサイトCBNのウェブマスターとして累計22,000件のユーザー投稿に目を通す。CBN Blogの企画立案・編集・校正を担当するかたわら日々のニュース・製品レビュー・エディトリアル記事を執筆。シングルスピード・グラベルロード・ブロンプトン・エアロロード・クロモリロードに乗る雑食系自転車乗り。

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