自転車に乗るのがなんとなく楽しくなくなってしまった。かつてのワクワク感が消えてしまった… そんな時は次の5つを試してみよう、という記事を英Bikeradarが掲載しています。
出典 5 ways to make your riding fun again
新しいものを買う必要はない
Bikeradarは次のようなアイデアを提案しています(長いので概要です)。
- ノーガーミン・ノールール(No Garmin, no rules – サイコンを使わない。ライドは記録しなさい、でもサイコンはポケットに入れておきなさい)
- 何処か新しい場所を走る(KomootやStravaのような各種アプリによるおすすめルートやガイドブックをチェックする。輪行も良いだろう)
- 何処か新しい場所で眠る(バイクパッキング用品は必ずしも必要ではない。友達と一緒に荷物を運べば手持ちの安い用品で事足りる)
- 何か新しいことをやる(必ずしも新しい自転車を買ったり、異なる種類のレースに出る必要はない。ロードバイクでオフロードを走ったりしてみよう。25mmタイヤでも走れるオフロードはある。ブルベに参加したり、MTBerならMTBオリエンテーリングをやるのも良い)
- 「余り物パーツスペシャル自転車」を作る(手持ちのパーツからどんな自転車を作れるかを想像する。自分が欲しい自転車というより、パーツが求めるような自転車を想像して作る。予算に制限を設け、オークションなどでフレームを辛抱強く探そう)
どれも個人的にも納得できる良い提案だなぁと感じました。何か新しいものを買う必要は必ずしもなく(買っても勿論良い)、マインドの変更が主に提案されているところに共感します。
たまにサイコンを使わないほうがライドをより楽しめる、という人は少なくないと思います。しかし後で数字を確認したくなることもあるのでとりあえず記録はしておき、ライド中はパワー等の数字は見ないようにしておけば良い、という提案ですね。私もサイコンなしでポタリングすることも多いのですが、距離が伸びると「一応持ってくるべきだったか…」ということはよくあります。
何処か新しい場所を走る、これも効きますね。しかし逆に「どこか新しい場所を走らなければ。輪行しなければ…」と考えてしまうと、今度は計画そのものに気疲れすることもあるので、身近な場所でまだ走っていない魅力的なコース、あるいは「既知のポイントを繋ぐ未知のルート」はないか調べてみる、あるいは調べながら走る、というのも気軽で良いと思います。
日帰りの輪行は早朝出発・夜遅くに帰宅など大変なこともあるので、もし休暇が取れるのなら前泊・後泊するのも良いですね。いきなり野宿やテント泊というのはハードルが高いでしょうから、安宿を見つけて泊まる。1泊2日であっても「違う土地で目覚める」だけで「だいぶ家を留守にしていた」感覚を得られると思うのは私だけでしょうか。
手持ちのパーツから新しく自転車を「生やす」のも楽しいですね。「自分が欲しいと思う完璧なバイクを作る」というより、「これらのパーツからどんな自転車が生まれるだろう、どんなフレームに合うだろう」というアプローチ。メンテナンスのスキルもレベルアップすることでしょう。
数字やスケール感だけ追求すると頭打ちになる
皆さんは「自転車生活をリフレッシュする」ためにどんなことをされているでしょうか。
私は「どこか新しい場所を走る」ことが多いですが(そもそも普段のポタリングで「飽きる」ことはあまりないものの)、個人的に気を付けるようになったこと、意識的に取り組むようになったことが一つあります。
それは「量」や「すごさ」を常に求めないようにする、ということです。
具体的には「前回よりも長距離を走ろう・前回よりもハードなコースを走ろう・もっとすごい絶景を探しに行こう…」という考えに、必ずしも捉えられないようにする、ということです。
というのも、次に何処に走りに行こうか、と考える時、どうしても「もっとすごいライド、もっとエキサイティングなライド」を求めてしまうからです(より多くのドーパミン、より多くのアドレナリン、エンドルフィン…という表現もできるかもしれません)。
それは自然なことで、誰でも「前回よりも刺激が少ないライド」には行きたくないはずです。しかし「より多くの距離と時間を走り、自分の限界値を更新し、より多くの感動を得て、かつてない最高の1日にする」といった「量」や「記録更新」や「スケールの大きさ」に重きを置いて行くと、いつか頭打ちになるのではないか(最後には燃え尽き症候群になる)。
「すごいライド(英語なら”Epic”なライドでしょうか)」は、それはそれで最高なのでたまに計画するとして(日本国内だけでも走りきれないほど魅力的なルートはあるので、走れるうちに走ったほうが良いのは当然)、特別でないような土地、特別さがないようなライドでも「楽しさ」を発見する能力を高め、工夫することも大切ではないかと最近思います。
「いつものサイクリングに飽きた」を「いつもの味噌汁に飽きた」という表現に変えるとします。では、刺激的なタイ料理やインド料理、前衛欧州料理を食べに行かなければ、満足できないのか。
私はスパイシーな料理が大好きで、定期的にエスニック料理を食べないと死んでしまうのですが、それはそれで独立した楽しみとして取っておきつつ、「いつもの優しい味の味噌汁を、よりおいしくいただく」という方向性も、自転車を含む全ての生活面でもっと模索したい、と考えています(が、こういう考え方はあまり人気がないかもしれません)。