4000時間以上の飛行経験を持つイギリス空軍の元戦闘機パイロットで、熱心なサイクリストでもあるというJohn Sullivan氏が、2012年に「PENNANT」という軍人年金協会の雑誌に寄稿した「人間の目は交通安全のために重要なものすべてを見るようにはできていない」という記事を、Cycling North Walesというサイトが紹介しています。
戦闘機パイロットは時速1000マイル以上の速度に対応する必要があるため、乗り物同士の衝突事故に関しては専門の知識と経験を有しているようです。非常に興味深い内容が含まれているので、本記事では主要な部分を抄訳でご紹介します。
高解像度の映像を生み出せるのは網膜の中心部だけ
人間の目と、目が受け取った映像を脳が処理する方法は、無防備なレイヨウ(アンテロープ)に忍び寄ったり、サーベルのような牙を持った虎といった脅威を特定するためには非常によくできています。しかしそうした脅威は、今ではほとんどなくなりました。高速でこちらに向かってくる乗り物が、その脅威に取って代わりました。しかし我々人間はまだそれに適応できるだけの進化は遂げていないのです。
光は我々の眼球に入ると網膜(retina)に落ちます。それは次に電気インパルスに変換され、脳が映像として知覚します。網膜のほんのわずかな部分、中心窩(fovea)と呼ばれる中央部のみが高解像度の映像を生成できます。何かの細かいところを見たい時、その何かを直接見る必要がある理由はこれです。網膜の残りの部分はディテール(細部の表現)を欠いていますが、周辺視野を追加するのに役立っています。しかしながら、視線からたった20度離れるだけで、視力は中心部よりも約10分の1にまで落ちるのです。
周辺視野ではものが見えないということではありません。もちろん見えます。ラウンドアバウトに接近する時、目の端っこであっても巨大なトラックが迫ってくるのを見ないのは難しいでしょう。もちろん物体が大きければ大きいほど、見える確率は高くなります。しかしオートバイやサイクリストは見えるでしょうか?
衝突針路上の物体を視認する確率を上げるには、我々は両目を、そして恐らくは頭部を動かし、対象を視界の中心に持ってくる必要があります。そうすることで我々は中心窩による高解像度な視界を利用できるので、細部を解像できるのです。
映像が処理されるのは視線が固定された時だけ
ここで興味深いことが起きます。風景をスキャンするために頭や目を動かす時、目は風景をスムーズに横断しながらその全てを見ることはできないのです。そのかわり、非常に短い一時停止(視線固定, fixations)をともなう非常に素早いジャンプ(saccades, サッケード。「断続性運動」または「衝動性眼球運動」と訳される。Wikipedia英語版)の連続でものが見えています。そして映像が処理されるのは、これらの一時停止の時だけなのです。
脳は周辺視野と、「あいだのギャップは一時停止中に見えていたものと同じものに違いない」という推測との組み合わせで、ギャップを埋めます(※過去に見えたもので補完する)。
これは馬鹿げた話に聞こえるかもしれませんが、脳は実際、目が動いている時に受け取っている映像をブロックしてしまうのです。電車の窓から横目で風景を眺めている時のようなブレた映像にはならないのは、これが理由です。唯一の例外は、移動中の物体をトラッキングしている時です。
試してみよう
- 鏡を覗きこんでみましょう
- 右目から左目へと、繰り返し見てみましょう
- 自分の目が動いているのは見えるでしょうか? 見えないでしょう
- このテストを友達にやってもらい、様子を観察してみましょう。目がはっきりと動いているのがわかるでしょう
自分自身の目が動くのを見られないのは、目が動く瞬間の映像を脳がシャットダウンするからです。これは衝動性眼球運動のマスキング(Saccadic masking)と呼ばれています。
昔々は、これは非常に役立ちました。このおかげで人間は、脳が不必要なディテールやブレた映像によって過負荷状態に陥ることなく、レイヨウにこっそり忍び寄ることができたのです。
交差点で自転車やオートバイを見逃してしまう理由
交差点では乗り物が小さいほど、衝動性眼球運動(サッケード)に入ってしまう可能性が高まるでしょう。これはドライバーが不注意だからではなく、人間はサッケード中には何も見えないこととより関連があります。だから「すみません、見えなかったんです」という言い訳が生まれるのです。頭を動かす速度が早いほど、ジャンプは大きくなり、一時停止時間は短くなります。このために乗り物を見逃す確率が高くなるのです。人は物体を効率的に見ており、脳が映像を補完しています。それに加え、人はフロントガラスの端を見るのを避ける傾向があります。自動車のドアピラーはそれゆえさらに広いブラインドスポットを生むことになります。これはフロントガラス・ゾーニング(windscreen zoning)と呼ばれます。
耳の役割
我々の耳は、周辺環境を想像する役に立っています。しかしクルマの中で、あるいはサイクリング中に音楽が流れていると、脳はこの有益なシグナルを得られません。加えて、自転車はほとんど完全に無音なので、クルマのドライバーや他のサイクリスト、歩行者には(接近する)音が聞こえません。
あなたがクルマを運転中だとします。交差点に近付き、交通がないことに気付きます。左と右を見て、前進します。突然クラクションの音が聞こえ、オートバイが目の前で光り、かろうじて事故を回避します。何が起こったのでしょうか? 交差点に近付くとき、完璧な衝突針路に乗り物があるのを見ることはできませんでした。周辺視界が探知可能な相対的な運動を欠いていたため、またオートバイがクルマのドアピラー近くにあり隠されていたため、完全に見逃してしまったのです。素早く右と左を見たという偽の安心感に騙され、そして背後の交通を止めるのを避けるため、目は接近する乗り物をジャンプしてしまったのです。フロントガラスのドアピラー近くにいたのならなおさらです。道路の残りは空っぽでした。そしてこのシーンが脳によってギャップを埋めるために使われたのです。
あなたは不注意(inattentive)だったのではありません。あなたの行為は無効(ineffective)になっていたのです。さらに、そこにサイクリストがいると思っていなかったら、脳は自動的に道路は空っぽだという結論に自動的にジャンプしてしまうでしょう。
クルマのドライバーができること
ラウンドアバウトや交差点に接近する時はスピードを落としましょう。道路が空っぽに見えてもです。スピードを変えることにより、そうしなければ見えなかったであろう乗り物も見えるようになります。チラ見は決して充分ではありません。戦闘機パイロットのように規則正しく、慎重になる必要があります。道路の右から左にかけて少なくとも3つの異なるスポットにフォーカスを当てましょう。近距離、中距離そして遠方をサーチします。練習すれば、これは1秒の何分の1という短い時間で行えるようになります。戦闘機パイロットはこれを「ルックアウト・スキャン」と呼んでおり、生存するために不可欠です。右と左を少なくとも2回見ましょう。これにより乗り物が見える確率が倍になります。
フロントガラスのピラーの隣に見るべき点を設けましょう。さらに良いのは、右と左を見る時、ドアピラーの周囲が見えるようにわずかに前傾することです。あなたに最も近いピラーがより多くの視界をブロックすることに注意して下さい。戦闘機パイロットはこう言いますーー「頭を動かせ、さもなければ死だ」と。飛行路がクリア(障害物がない状態)であることを確認して下さい。車線を変更する時は、ミラーをチェックし、さらに最終チェックとしてこれから活動の場となるスポットを直接見て下さい。
ライトを点けて運転して下さい。明るい乗り物やウェアは、風景とのコントラストがない暗い色よりも見つけやすくなります。低照下ではコントラストが低くなるため、自転車やオートバイ、歩行者は特に視認が難しくなります。
フロントガラスをきれいにして下さい。フロントガラスが汚れていなかったとしても他の乗り物を見ることは充分に難しいことなのです。戦闘機のキャノピー(天蓋)が汚れていることは決してありません。
最後に、行儀の悪い愚か者にはならないでください。スマホを見ている場合、他のものはあまり見ることができません。膝を覗きこんでいるかもしれないから、というだけでなく、あなたの目の焦点が合っているのはその時1m以下であり、遠方の物体はどれも焦点から外れています。頭を上げて外を見ようとする時も、目が適応するまでには1秒の何分の1かの時間が必要です。そして、この時間をあなたは持っていないかもしれないのです。
サイクリストとオートバイ乗りができること
サッケードに入ってしまうリスクがあることを再認識しましょう。コントラストの高いウェアやライトが役立ちます。特に、点滅するLED(フロントとリア)は、運動と同じように周辺視野の注意を惹くコントラストと点滅を生むので効果的です。日中にこれらを点けっぱなしにしておくことは何も悪くありません(特に充電可能なものなら)。
自転車のスピードが相対的に遅いということは、クルマが自分の進路に入りはじめている場合、衝突地点により近くなることを意味します。これを逆手に取りましょう。交差点を通過する時は、接近してくる・または停まったドライバーの頭を見ましょう。もしあなたが見えているのなら、ドライバーの頭は自然に止まり、あなたの正面を向くでしょう。もしドライバーの頭が止まることなくあなたをスウィープしてしまうようであれば、あなたはサッケードに入っている可能性があります。この場合、自分は見られていないと考え、クルマが前進してくると考えなければなりません。
日照が少ない時や、クルマのフロントガラスが汚れていたり雨に濡れている時、あなたがドライバーに見えている可能性は低くなります。
まとめてみると
最後に内容を簡単にまとめてみると、
- クルマのドライバーが「ごめん見えなかった(Sorry mate I didn’t see you – 英語圏では”SMIDSY”と略される)」という決まり文句を言う時、不注意の言い訳というわけでは必ずしもなく、人間の目と脳の仕様・制限が原因になっていることがある
- 脳が映像として処理するのは目の動きが止まった時の映像。原始時代はこのほうがノイズが少なく、都合が良かった。目が移動中の映像は「目が一時停止した時に見た映像」をベースに補完される
- クルマのドライバーの頭がまっすぐこちらを向いて止まらなかったら、見られていない可能性が高い
- ドライバーの周辺視野での視認効果を上げるためにコントラスト(=明暗差)を出す、デイライトを点滅させるのは有効
という感じでしょうか。
戦闘機パイロットのあいだには “Move your head – or you’re dead”(頭を動かせ、さもなければ死だ)という箴言があるそうです。これはクルマのドライバーに対してドアピラーの死角に注意するよう向けられた言葉ですが、サイクリストもクルマのドライバーの正面に頭を向けることによって、自分にはあなたが見えている、という意思表示をすることができるでしょう。
交差点では一瞬でもクルマのドライバーと視線が交わらない限り、突っ込んでいくことは私もありません。
▼ 視認性向上のために、街中では特にデイライトや明るい目立つウェアを活用するのが良いですね