よみもの

価値は身近なところにあり、発見される日が来るのを待っている(自転車旅エッセイ)

今日は少し変わったミニ記事です。自転車製品とは関係のない旅日記記事ですので、ご興味のない方はかわりに最新セール記事(ウェア系10%OFFクーポンが出ています)などをお読みいただければ幸いです。

ある離島の驚くべき変遷に思う

さて、これは神津島(こうづしま)という伊豆諸島の島です(東京都)。洋上から見ると、山肌に黒い線が横に走っているのが見えます。白っぽい崖のあいだにある、墨で撫でたような太い線。

神津島

あの太い黒い線のあたりで、むかし「黒曜石」という石が採れたのだそうです。そこでだけ採れたわけではなく、島のあちこちで採れたようですが、上の写真の崖は黒曜石のあるわかりやすい場所として有名らしいです。

むかし、と言っても、数百年とか数千年とか、それくらい前の話だったようです。その黒曜石が、神津島の主要な「輸出品」だった時代があったらしい。石器として、あるいは武器の材料として、本州に運ばれていった。黒曜石が島の有力産業だった時代が、大昔にあったわけです(それが神津島のはじまりだったという説も読みました)。

黒曜石

やがて、黒曜石は流行らなくなった(需要が消えた)。すると島の人々は、何をやって生計を立てたか。いろいろあったようですが、近代に入ってからは、マグロの一本釣りが流行った時期もあったようです。港で見かけた下の像は、その時代の神津島を表現しているのかもしれません。

マグロの一本釣り漁師の像

しかし、やがてマグロの一本釣りも廃れた。釣れなくなったのでしょうか。理由は調べてもよくわかりませんでした(こうしたことはすべて、島の郷土資料館や現地の文献で学びました)。とにかく、マグロでは食べられなくなったようです(ちなみに現在はキンメダイがよく捕れるらしく、食べてきたけどめちゃくちゃうまかった! 神津島に行かれたら是非食べてみてください)。

その後は、「テングサ」や「ヒラクサ」といった海藻が島の重要な産業になった時代もあったそうです。貴重な現金収入源になるので、季節になると島民総出で働いたそうです(下のピンク色っぽい写真はテングサを干している様子)。

テングサ干しの風景

しかし、寒天やところてんの原料となったテングサも、やがて産業としての需要は消えてしまった。

その後、日本では1970〜80年代にかけて「離島ブーム」というものが発生したらしく、伊豆諸島も観光客で大賑わいするようになった。神津島でも、1日に9000人くらい人がいた時期もあったそうです(うち島民二千数百人、観光客七千数百人という割合。正確な数字はうろ覚えなのですが「ええっ、そんなに!?」と衝撃を受けるくらいの数字だったのは間違いないです)。

そのころ神津島の人々の多くが、民宿を経営するようになりました。最初は島の観光化に戸惑い、抵抗を持った人々も多かったそうです。しかしその頃から島が経済的に豊かになり、生活インフラも充実していったそうです。

下は天上山という神津島の有名な山ですが、むかしむかしここまで登ってくるのは大変なことで(現在の登山道もなかった)、漁をするために島の反対側の浜に行くとか、この近くで薪や木材を集めるとか、そういう用事でもなければ人が好き好んで行くところではなかったようです。神聖な土地でもあり、島民には畏怖の対象でした。

天上山

天上山は今でこそ「花の百名山」に数えられていて、東京都の有名な山の一つではあります。しかし昔の神津島の人々にとって、この山を登るために島外から人がやってくることなど、考えられなかったことでしょう。

わざわざ自転車で走りにくる人がいる、ということは、さらに考えられないようなことだったのではないかと思います。

神津島サイクリング

神津島は光害が少ないため、星がきれいです。東日本でも一二を争うレベルの星空と言われています(確かに本当に素晴らしかった)。

神津島の星空

むかしの神津島の人々も、この星を見て「きれいだな」と思ったことは、あるのかもしれません。しかし遠い将来「星空保護区」として島の観光資源になるかもしれないと考えた人は、数百年前には誰一人いなかっただろうと思います。

有名アニメの登場人物の出身地・聖地となることも、誰も想像できなかったでしょう。

ラブライブ サニーパッション

神津島を自転車で走ったり歩いたりして思ったのは、価値というのは身近なところにいつもあり、発見されるのを待っているのかもしれない、ということです。

もちろん価値が発生するためには、適切な時との出会い、タイミングが大切には、なるでしょう(神津島の星空に価値が見出されるためには、本州の大都市では大気汚染と光害で星が見えなくなるのを待たなければならなかった、という具合に)。

しかし、価値は必ずしも遠くまで探しに行って見つけるものとは限らず、意外と身近なところにあるものだということ、その時その時で何をやれるのかを考え続ければ、たぶん何か見つかるのだろうということ、そして、それは時に思いがけない方向に向かうこともあるのかもしれないが、まぁなんとか人間は生きていけるのだろうということ、そんなことを神津島の旅で思ったのでした。

いつの時代もそうなのかもしれませんが、いま私達が生きている世界も、何がどう転ぶのかほとんどわからない感じになっていると思います。しかし神津島に行ってみて、なぁなんとかなるのだろう、と思いました(なんとかしようとすれば)。

著者
マスター

2007年開設の自転車レビューサイトCBNのウェブマスターとして累計22,000件のユーザー投稿に目を通す。CBN Blogの企画立案・編集・校正を担当するかたわら日々のニュース・製品レビュー・エディトリアル記事を執筆。シングルスピード・グラベルロード・ブロンプトン・エアロロード・クロモリロードに乗る雑食系自転車乗り。

マスターをフォローする
CBN Blog
タイトルとURLをコピーしました