昨日の「派手なペイントのロードバイクを懐かしむ声:単色系のフレームが増えたのはなぜ?」へのフォローアップ記事です。艶のあるスプラッシーでカラフルな自転車が減ったのは寂しい、という海外サイクリストの声をご紹介したのですが、そうなった理由として「無難だから(売れやすい)・グレーや黒のような単色系はリセールバリューが高いから」等が挙げられていました。
しかしTwitterでお寄せいただいたご意見を眺めていると、カラフルなスポーツ自転車・ロードバイクが姿を消しつつある理由は、より複合的なものであるように思えました。恐らく大きく5つの理由に分類できそうに思えたので、この記事で整理してみたいと思います。
不況・コスト削減説
まずは「コスト削減」という理由です。これは確かにあるでしょうし、わかりやすいですね。資本主義の宿命です。経済学的な理由とも言えるでしょうか。
- 大きな理由は「コストダウン」
- 製造コスト下げたいからだよなぁ
- シンプルにしちゃえばデカール貼るのも塗装するのも楽だし
- コロナ禍でメーカーサイドが無難なカラーリングで安パイとりたい説はあります。派手なカラーリングもいいですけど売れないリスクも大きいので
しかしコロナ禍以前にもカラフルなフレームが既に減りはじめていた(ように思う)ことを考えると、過去10〜20年間で自転車界が不況に陥り、さらなるコスト削減を模索せざるをえず、コロナ禍がそれに拍車をかけた。カラーオプションを限定することで、製造・在庫コストを下げ、いわゆる不人気色を排除する動きとなった。というシナリオが考えられるでしょうか?
軽量化説
次に軽量化説です。自転車の基本性能の純粋な追求、またはマーケティングに関する説でもあります(上のコスト削減説ともかぶります)。
- 塗料削減による微々たる軽量化か
- 塗料って意外と「重い」からね。F1チームですら塗料分の重量を削るくらいだから。塗料分の予算がばかにならないってのもある
色使いを少なくすることで、あるいはマット塗装にすることでフレームの軽量化を図れる。また、フレーム重量はユーザーにとって最もわかりやすい性能指標の1つとなるので、メーカーとしては少しでも軽く見せたい(塗装前重量が強調されるフレームも以前より増えた印象があります)。
さらに塗装のコスト自体もあるので、コストを削減しつつ軽量化にも繋がるのであれば、色を減らす・重さが出ない仕上げにするのは自然な成り行きのように思えますね。
ロードバイクの大衆化説
次は「ロードバイクの大衆化説」とでも呼べそうなものです。これは、上で紹介したコストダウン説・軽量化説とは違う次元の話なのでさらに興味深いです。社会学・心理学的な領域に話が及んできました。
- ロードバイクが大衆化、一般化したせいもありそう
- 単色とかツートーンカラーの方が、バーテープとの組み合わせで何かをモチーフにした自分だけの自転車感を出しやすいのよね
- チームエディションバイクは確かにカッコいいし、プロと同じデザインに乗れるのはテンション上がる。でもロードレースチームって短い周期でチーム名変わっちゃうから長く乗るには無難なの選んでしまいますね
「カラフルだった頃のロードバイク」は「メーカーが提示する世界観」を、かなりそのままに近いかたちでユーザーが受け入れ、その世界に自分自身を同化させていく、という気持ち・快感がサイクリスト側にあったのではないでしょうか(※筆者による仮説)。
しかしロードバイクが普及していく過程で、サイクリストはプロサイクリングチームが象徴するような「大きい物語(イメージ)」ではなく、「個人的な物語(イメージ)」にシフトするようになった。ということが言えないでしょうか。
自分の色は自分で決める、決められる。そのため、ベースとなるフレームカラーは地味であっても良い…(そしてメーカー・ブランドはそのような消費者心理を理解し、的確に対応した?)。
しかしその場合でも、色使いがさすがに限定的になるのはちょっと不満、というご意見も見られました。カラーオーダーという選択肢も、なかったり、あっても高価になりました。
- 差し色が欲しい場合は現状バーテープとボトルケージに色入れるぐらいしか方法がない…
- カラーオーダーという手もあるが対応していなかったり高かったりだし
カーボンだから説
次はフレーム素材(に起因するフレーム形状?)に関する説です。これもコスト削減とは別の視点からの説で、興味深いですね。
- クロモリの細いフレームは鮮やかでグロッシーだとかっこいいけど、今時のカーボンフレームに鮮やかな色の塗装だとオモチャぽく見える
ここは個々人の審美眼に大きく依存するところだと思いますが、グロッシーで鮮やかなカラーリングがクロモリによく似合う、というのは個人的にも感じます。ただ、これは時間が経過すればファットなカーボンフレームでも似合うように見えてくる可能性もありそうな気もします(見慣れるかどうかの問題もありそう)。
どのジャンルでも同じ説
次は「それは自転車に限った話ではない」説。これも確かに、私もそのように感じます。プロダクトデザインにおける世界的かつ時代的な潮流、ということでしょうか。
- この流れはスキースノボ用品と一緒かな。フレームもウェアもケバかったのがシックになりました。私は今の方が好きです
- ウインタースポーツもギア、ウェア共に割と単色人気だしな。保護も兼ねて汎用性の有るラッピングキットがもっと出てきたら楽しいよね
- デザイナー目線からだと、他業界(家電やWeb等)もデザインはシンプルに洗練された、ソリッドなデザインがトレンドで、自転車業界もそのステージ(ブランディング)に入ったんだなという印象でした。その先駆けがCANYONで他社も追従してきたなと思ってました…
- ウェアをはじめ、スポーツ関連のものは、派手と地味のブームのようなものがあり、またそのうち派手になるような気もします
余談ですが、登山ウェアや用品の世界でも、基本的には遭難時に発見されやすい明るくて派手な色のほうが望ましい、という意見が多いのですが、やはり暗い単色系の製品が増えているという情報を見たことがあります。
CANYONが現在の「ソリッド・シック・シンプル・ミニマル」とも呼べそうなロードバイクの傾向に先鞭をつけたのではないか、という説も面白いですね。CANYONを代表とするD2C(ダイレクト・トゥ・コンシューマー)ブランドは、様々な中間コストの削減によって「高品質な製品を安価に」提供できますが、それ以外にも「小さい世界観」との相性も良いように思います。
まとめ
カラフルなロードバイクが姿を消しつつあることについては「ベースカラーが単調になることで、逆に自分なりのカスタマイズがやりやすくなった」という好意的な意見がある一方で、車体自体がカラフルだった頃はやはり良かった、というご意見も多いです。
- 地味目な性格でも派手なモノに乗れたし着れたのは、それが普通だったから
- 派手なロードに派手なウェア着て乗るのが楽しいんだよ!
- 自転車を始めた2010年頃なんて各社のハイエンドモデルが競うように派手かつ華やかなデザインだったな どれも相応にカッコよかったし、いつかはハイエンド。って気にもなったよね
ロードバイクに乗ることは一種の「変身願望」を満たしてくれるところが確かにあり、憧れのプロロードレーサーやプロチームが駆る鮮やかな色の車体にまたがり、同じように派手なウェアに身を包むことで、ロードレースという大きい物語・イメージに同化し「非日常的な時間」を味わう、という楽しみ方ができます。
しかしロードレース人口の減少・人気の低迷、また不況のせいでプロチームを長期間支えられる冠スポンサーが減ってきた、そのためかつてのMAPEIやSaecoといったスポンサー名が持っていたほどのブランド価値が現在のスポンサーにはなくなってきている。自分をその中に投げ込めるような大きい物語が、なくなってきた…
そのため、サイクリストはより小さい物語を自分自身で生み出すようになった、そして単色系で、かつてよりは地味めなカラーの車体がその動きに対応して増えてきた、ということも言えるでしょうか。
かつては「非日常的」だった時間も、スポーツサイクル歴が5年、10年、20年となるにつれ、仮に週1のライドであっても生活の中に組み込まれ「日常的な時間」となった、とも言えたりするでしょうか。「ハレ」が「ケ」となり、人々は「ケ」をより高いレベルで味わい、楽しむようになった。別の味方では、ロードバイクからはある種の「聖性」が消えつつあるのではないか…(参考:ハレとケ – Wikipedia)
いずれにせよ、フレームのカラバリ減少に足並みを揃えるように、次のご意見のようにパーツもまた色の選択肢が減ってきているのも、言われてみれば確かに、という感じで、気になるところですね。
- フレームのカラバリが減ったからだと思いますが、サドルなどのパーツも黒系がほとんどになっているように思います。fizikがまたカラフルなサドル出したら色遊びしたいな…
カラフルなロードバイクが姿を消しつつあるのは、何故か。熱狂できるような大きい物語(共同幻想と言っても良いでしょうか)が姿を消しつつあること、それによって個々人の世界観が重視されるようになってきたこと、ロードバイク人気が落ち着いた後のコモディティ化、世界的な不況・世界の極地化、等と複雑に絡み合った結果なのかもしれませんね。
どれが卵でどれが鶏なのか、簡単にはわからない話だなと思いました(全然まとめになってなくてすみません!)。様々な視点からのご意見、ありがとうございました。