最近ショックな出来事がありました。まだ新車状態ともいえる買ったばかりのシングルスピード号に乗って、買い物に出かけたのでした。
そしてお店の駐輪場で、あいているスペースを探しました。運良くいい感じで地球ロックできそうな鉄柱を見つけたので、そっとトップチューブをたてかけてロック(理想的にはサドルで支えられれば良いのだけどそのスペースがなかった)。そのまま店にはいろうとしました。
すると入れ違いにママチャリの老人がやってきて、駐輪スペースがないことを悟ると私のシングルスピード号のとなりに無理やり自分の自転車をグリグリとねじこもうとしはじめました!
ちょっ、何するんだこの野蛮人、やめろ…と言いかけようとしたその時、老人は自分のママチャリがそこに入らないことを理解したのか、動作を停止。
しかし安心したのもつかの間。今度は頭だけ入れた自分のママチャリが外に出なくなってしまったので、そのじいさん、私のシングルスピードのサドルをむんずとつかんでガキーン! と手前に引いた!
ああ、絶対に傷がついた…と、少し遠くから観察していた私は思いました。もし人の自転車を悪意を持って手荒に扱おうとしているのがわかったら、すぐに注意しに走れたんですが、なんというか、そのジイさん、乱暴でもなく、丁寧でもないという、絶妙な力加減での動かし方だったのです。
自転車のフレームに傷がついたら悲しむ人間がこの世には存在する、ということをこれっぽっちもイメージできないタイプの人間であることがよくわかるような、粗雑で野蛮な身体動作でした。しかし、厄介なことにそこに「悪意」は感じなかったのです。
悪意はない。ただ圧倒的な無知だけがある。
すぐ自転車を見に行きました。トップチューブとクランクに傷がついていました。写真(1枚目)を見ると全くなんともないように見えますが、実際はもうちょっと目立ちます。クリア層ですが、広範囲に鉄柱の白いペイントが色移り。
自転車の最初の傷は、その自転車の新章の幕開けである
これは悔しい。いや、自転車には傷はつきもの。それはわかる。小傷も増えていくにつれ、ちょっとづつ自分の自転車になっていくようなところがあり、それもいいものです。
でも新車の最初の傷。これは何台目になってもなかなか受け入れにくいところがあります。しかも、自分でやってしまった傷ならまだしも、スポーツ自転車の価値なんかまったくわからないサビサビチェーンのサドル穴あきママチャリに乗った老人にガキーン! とやられた傷なので、なおさらショックです。
友達に貸してついた傷も、ショックは受けたとしても、平気です。悪気があってやるわけじゃないし、そもそも自転車の扱いに慣れていなければどうすればどういう傷がつくのかイメージできない人も多いでしょう。
でもあの老人。オメーはダメだ。
こと自転車においては、最初の傷、というものがいちばん精神的にこたえます。これまで何度となく経験してきたはずですが、新車に残される最初の傷は心が痛みます。たとえ小石をはじき飛ばしまくるMTBであっても最初はそう。
しかしものは考えよう。何事もポジティブに捉えるのが人生のすべてにおいて成功するための秘訣です。
これは新しい何かのはじまりを予告しているのだ。
これでこのシングルスピードでも気軽に輪行できるようになったじゃないか。フレームにホイールを置いてガシガシストラップで巻けるようになったじゃないか。と、私は自分に言い聞かせたのでした。
【教訓】
- 新車はなるべく駐輪場には停めない
- 新車はなるべく端っこに停める
- フレームを鉄製の物体と接触させたまま停めない(自分が気をつけていても他人は気をつけない)