「明日、はじめて長距離をソロで走るつもりです。でも、ぼっちで走って退屈しないかどうか心配しています。退屈しないコツはあるでしょうか?」という質問スレッドを海外掲示板で見かけました。何時間も誰とも会話せず、ひたすらペダルを回すだけ。それで100kmも200kmも乗ったら退屈してしまうのではないか。飽きてしまうのではないか。そういう不安でしょうか。
この質問に対し、個人的に共感できる面白いアドバイスが多数寄せられていたので、抄訳でご紹介します。
あんた、一回退屈してみたほうがいいんじゃね?
さて、464件(本記事時点)もの支持を集めたアドバイスがこちら。最初の行に注目です。
退屈しないかどうか心配しているのなら、あなたは退屈してみたほうが良いことがあるかもしれないですよ。
しかしマジレスすると音楽やポッドキャスト、オーディオブックが良いだろう。私は骨伝導ヘッドフォンが好みだが、普通のイヤホン片側でも良いだろう
なるほど、退屈しないかどうか心配するということは、普段タスクでいっぱいの慌ただしい時間を過ごしていると考えられるわけで、スレ主さんが「何かやっていないと落ち着かない」ほどの作業中毒的な生活を送っているのなら、それを見直す機会になるから一度退屈してみたら良いのではないか、という意味深な意見です。これは良いレスだなぁと思いました。
他にもこんなコメントが寄せられていました。
- いつもより長い時間、独りきりになって自分の考えにふけることで恩恵を受ける人は多いはずだと強く信じています
- (上の人に)同感です。私はShokzのヘッドフォンを使っていますが、時に自分に必要なのは脳を落ち着かせ、デトックスするために何時間か乗ることだけ、だったりします
- サイクリングは私が覚醒中に唯一スクリーンを見ていない時間です
- 私は退屈することはありません。見るものがたくさんあります。空、太陽、雲、木々、人々、建物、建築、鳥、動物、他のサイクリストや彼らの自転車とか
- 最初は、ヘッドフォンは使わずに走ったほうが良いと思います。ソロライドを楽しんで下さい。日常生活の騒音や仕事からの素晴らしい解放になります
- 最初のロングライドでヘッドフォンを使うのは悪いアイデアです
- 私は最初の30kmをすぎるといつも独り言をはじめるか、歌いはじめてしまう
- 私は100km以上のソロライドをたくさんやってきましたが「退屈」したことはまずないです。ケイデンスや呼吸、スピードの維持や心拍に集中するといい… それかただ風景を楽しむ。ロングライドはとても瞑想的なものだと思うし、最良の考えを得られることもあります
- (スレ主さんへの質問)自転車以外では、いつもどうやって退屈を回避しているの?
- (上の人へのスレ主さんの回答)休憩したり、お茶をいれたり、スマホでちょっと休憩したり、活動を変えたり、たまにはそのまま追い込んだりしたりします
- (スレ主さんへ他の人がアドバイス)刺激中毒から自分を解放しなさい
- (上の人に)ADHDでないなら、そう言うのは簡単なことです。私は長時間退屈するとかなり落ち着きがなくなり、多動になってしまいます
- 私はADHDですが、サイクリングはかなり役立つと感じています。簡単に退屈してしまうことが多いのですが、サイクリング中は気持ちが落ち着き、瞑想的になります
- 退屈が心配なら、もっとチャレンジングな内容にすればいい
刺激中毒から自由になる
何か生産的なことをしたり「退屈しのぎ」をしたりせず、むしろ退屈を楽しむという方向性を模索したほうが面白いですよ、という意見が目立ちます。また「刺激中毒から自分を解放しなさい(Free yourself from stimulation addiction.)」という指摘は、簡潔で的を得た指摘だなと思いました。
これは私も前々から考えていることで、刺激やスリル、ワクワク感を求めてサイクリングに行くと、それらの期待が満たされなかった場合にそのライドが「並以下」に感じられてしまうことがあり、それは絶対良いことではないと思うんですね(ワクワクせずにサイクリングに行くというのも難しい話ですが、過剰な気持な期待を持って出かけないということです)。
料理にたとえると、私は激辛料理が大好きなのですが、この「辛さ」というのは際限がないのです。また辛いスパイシーな料理に慣れると「辛くない優しい味」の料理はパンチに欠ける、味噌汁などはつまらない料理だ、と感じてしまうようになるのです。これは、あまり良くありません。
「退屈が心配なら、もっとチャレンジングな内容にすればいい」という最後の方のアドバイスは「退屈を楽しむ」という方向性とは、真逆です。これはこれで悪いアドバイスだとは思いませんが「退屈するのは難易度が低いからで、もっと難しかったら退屈しない」という発想は、結局のところ量・数字の追求になってしまうでしょう(ただし、時によって有効な発想だとは思います)。
辛くないならもっと唐辛子を入れろ、塩気が足りなかったら塩を足せ、というのは、この場合は良い解決法ではないだろうと私も思います。料理に刺激を加えるのではなく、味わい方を変えてみる。素材そのものをよく味わってみる。そういうアプローチを意識すると、自転車はもっと楽しくなるのではないか。
このことについては、下の記事でも考察したことがあります。
アドレナリンに由来しないカタルシス
次のアドバイスも113いいねを集めています。
退屈さを前向きに受け入れなさい。 私はむかし、ロードに乗ることほど退屈なこともあるまい、と考えていたことがあります。しかし、しばらく乗ってみたら、ロードにはカタルシスを覚えるような退屈さがあり、オートバイのレースやMTBライドにはつきもののアドレナリンの大変動とは違うので、気分転換になりました
退屈さを前向きに受け入れなさい、は”Embrace the boredom”と表現されています。良いものとして受け入れて楽しみなさい、というニュアンスです。良いメッセージだなと思いました。また、オンロードライドでの「退屈さ」には、オフロードライドで得られる刺激・興奮系の楽しみとは違うタイプのカタルシス(精神の浄化作用)がある、という表現も説得力があると思いました。
霞ヶ浦一周は「退屈さの向こう側」に行けるZenなライド
代わり映えのしない風景のなかを、何時間も淡々と走る。スリルや興奮があるわけではない。しかしゆったりとした瞑想的な時間が流れ、脳が解毒されていくかのように感じる。
霞ヶ浦(茨城県)をソロで走っている時、そんな気分になるな、と思いました。
仕事でストレスが溜まっている方、仕事を頑張りすぎているせいで常に何かをやっていないと落ち着かないという方には「霞ヶ浦一周ぼっちサイクリング」を個人的におすすめしたいですね。勿論、スマホの電源は切る。音楽も聴かない。
私は自戒を込めてこれを書くのですが、仕事中毒になっているそういう人は、たぶん途中で「退屈」すると思います。しかし、霞ヶ浦が本当に面白くなるのはそこから。そこが新しい体験の入口。退屈だなと思いはじめた時に、ちょっと脚を止めて風景を眺めてみる。すると退屈の先に新しい世界が現れるでしょう。それは、生産性や効率とはあまり関係のない世界です。
外国の人はその感覚を”Zen”と呼んでいるようです(今回紹介したスレッドにもZenという言葉が登場しています)。呼び方は何でも良いと思うのですが、”Zen”もわかりやすくて良い言葉ではないかと思います。カスイチは禅。興味を持たれた方は、是非下の記事をご参考に出かけてみてはどうでしょうか。
勿論カスイチでなくても、良いですね。自転車ソロツーリング、ソロキャンプに行くのも同じように良い体験が得られると思います(夜はやることがほとんどない)。こうした活動から得られるのは「退屈の再定義」とでも呼べるものかもしれません。