サイコンやStravaといったものは私達をデータの奴隷にしているのではないか、という主旨のオピニオン投稿を海外掲示板で見かけました。古くからあるタイプの議論ですが、おもしろい話題なので観察してみます。
自分のサイコンは、もはやツールではないと思うようになりました。これは(※犬などにつける)リーシュです。私は自分の大腿四頭筋の熱感ではなく、スクリーンに表示される数値をベースにエフォートを調整していることに気付きました。もしパワーメーターが「お前はもう限界だ」と言ってきたら、たとえ身体に元気があるように感じても、それを信じてしまいます。1秒1秒を量化するこによって、私達は事実上ライドのソウルを抹殺してしまったのではないかと考えはじめています。自分がただのStravaのデータ入力係みたいだ、と感じている人は他にいますか?
出典 The Data Smog When did we stop riding and start just managing a dashboard?
寄せられたコメントからいくつかピックアップしてみます。
- いいや。スピード、進路、距離、経過時間、時刻だけといったスクリーンにしておくこともできますよ。すると、これもいいものですよ。ただ乗って、たまに基本的な数字をチェックするだけで済みます。パワーメーターは、要らないですよ。HRゾーンを表示させておく必要はありません。データに取り憑かれる必要はありません
- 勿論あるとも。そう感じた時はサイコンをポケットに入れて、ただ乗ります。Stravaはライドを記録し続けているけれど、見えないようにします
- 数年前にサイコンを捨て、今は全面的にエフォートに基づいてライドしています。あなたと同じ問題を経験したからです。ライドを楽しむかわりに、数字をチェックする時間があまり増えたからです。スマホ・GPSはジャージのバックポケットに入れているので、ライド後に確認できるデータは残っています。ライブデータは捨てて、自分を解放してライドを楽しみなさい!
- 「私達は事実上ライドのソウルを抹殺してしまった」の「私達」って誰のこと?
- それはあなたの個人的な問題ではないかという気がします
- 私の場合は正直、諦めずにもっと追い込む時に役立ちます。自分のメンタルはフィジカルよりもずっと弱いので、お前はもっとやれるはずだと言ってくれる何かがあるおかげで、ものすごく助かっています
結局のところ、ものすごく陳腐な言い方にはなりますけれども、使い方が全てという感じでしょうか。コメントにもあるように、データは自分自身の「思い込み」を取り除き、新境地に誘ってくれることもあります(これはデータ・ドリヴンな取り組みがもたらすポジティブな面)。
このスレッドを読んでいて、解剖学的・養老孟司先生が著書で紹介していたエピソードを思い出しました。養老氏、体調が悪くて病院に行ったところ、お医者さんは養老氏に対して触診・聴診はまったくせず、レントゲンやCTスキャンやカルテばかり見ていて、実際の患者は診ず・話は聞かずにデータばかり見ていた。そういう時代になった。という主旨のエピソードでした。
そっくりな体験を私もしたことがあります。相当前の話ですが、歯医者さんで「右のここの歯が痛くて…」と訴えたところ「そんなはずはないです!そこは治療したんですから」と、ややキレ気味に反論されたのです。
これは、私にとっては衝撃的なエピソードでした。というのもその先生は本当に素晴らしい歯医者さんだったので、技術も思想も人間性も素晴らしいこんな名医でもこんなことを言うのか、と驚いたのです。
患者の私が痛いと言っているのだから、痛いという現実が実際にそこにあるのですが、カルテを見て「そこは◯月に歯根治療を完璧に済ませてあるんです」みたいなことをおっしゃるんです。その先生のことは今でも尊敬しているのですが、その時はガッカリしました。だって実際にマジ痛いのに「データによるとその痛みは幻想です、フフフ」と言われているようなものだからです。
しかし今になって思うとその先生は全然ひどくはないほうで、その後、患者とは一切目を合わせない・顔も名前も知らない・症状を丁寧に説明しようとしても面倒臭そうな顔をされるだけ・何を注射されたのかわからない、という雰囲気の病院(歯科に限らず)が今では普通なのだろうと思うようになりました。
と、話は脱線しましたが、データはデータで面白かったり、有益になることも間違いなくあるので、コメントからも感じられるように「自分にとってちょうどいい距離感」を探って使っていくのが良いのかなと思いました。
あと、データが間違っていることも勿論あります。最近私が経験したエピソードとしては、ライド中におもしろい林道を見つけたのですが、「あれー、こんなにいい道、なぜいままで気付かなかったのだろう?」と不思議に思ったのです。だいぶ前からその近所を走っていたのに、長らくその存在に気付かなかったのです。
帰宅してから、何度も眺めたことのあるそのエリアの地理院地図(25000分の1の印刷版)をあらためて眺めてみて、驚きました。その林道は、やはり地図上には描かれていないのです。そう、その林道は、その地理院地図が印刷された後に誕生した道だったのです!「地図に載っていないんだから、そこに道があるわけがない」と私はいつのまにか思い込んでいたようです。



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